イベールの代表的ピアノ曲。作曲が完成したのは1922年で、同じころかきあげられた管弦楽曲《寄港地》とあわせて、イベールの名は、より広く世に知られるところとなった。
《物語》は10曲の短い小品から成る。イベールはこの頃、中近東や西欧の国々を旅行したが、そこで感じた印象や、その土地々で聞き知った昔話が、非常に洗練された形で音楽に表現されている。これらは一貫して弾かれることもあれば、単品としてとりあげられる曲も多い。テクニック的にも音楽的にも親しみやすいので、個人的な楽しみに演奏するのもよいだろう。
それぞれのタイトルは曲の最後に添えられていることから、標題音楽としてとらわれ過ぎないように、という作曲者の意図がよみとれる。
I金の亀を使う女 La meneuse de tortues d'or:やさしく、物憂げにはじまる《物語》の第一曲。歩むような左手にのせて、透明感に満ちた右手の音色が大気を静かに震わせる。
II小さな白いろば Le petit ane blanc:演奏会などでも、単品でとりあげられることが多い。スペインが舞台。ろばのひづめの音を思わせる16分音符のスタッカートが終始一貫して続く。極めて陽気に奏される中間部、弱拍に置かれたおどけたようなアクセントは聞く者の興奮をあおる。人気の高さもうなずける、楽しい一曲。
III年老いた乞食 Le vieux mendiant:繰り返される左手の和音は、悲しみにうちひしがれるような重々しさに包まれて、あてもなくさまようように響く。最後はpppで消え入るように。
IV風変わりな娘 A giddy girl:イギリスの優しい恋歌の様式で。前曲とは対照的に、登場するのはおてんばな娘。中間部で見せる陰りのある一面で、織りなす和声の響きはやはり少し風変わりか。
V悲しみの家で Dans la maison triste:子供が死んでしまった悲しみに包まれた家。ゆっくりと、そして嘆くように。4分の7拍子。わりきることのできない心の揺れ、どこに向かえばいいのかわからないやるせない気持ちが音の中に感じられる。
VI廃墟の宮殿 Le palais abandonne:森の中で道に迷った恋人たち。彼らがそこで目にしたのは、廃墟の宮殿であった。かつては存在したであろう神々しい宮殿。しかし今ここに、それはない。過去の面影と現在のあり様が、響きの上でも見事に表現されている。
VII机の下で Bojo la mesa:ヴァレンシアのカフェにて。踊り手の女性が、机の上でスペイン舞踊「サパテアド」を踊っている。一人の酔っ払いが机の下に寝転がっており、それを闘牛士が踏みつけている。暴れもがく酔っ払い、悠々と踊りを眺める闘牛士。そんな様子が描かれている。
VIII水晶の籠 La cage de cristal:水晶の牢屋に閉じ込められたお姫様。装飾音を効かせた愛らしい音色にのせて、彼女の心はどこまでも遠くへ。けれどもやはり囚われの身、中間部ではどこか悲しげに、同じ音型が繰り返される。
IX水売り女 La marchande d'eau fraiche:水売りの女が、ラバを引き連れて市場へやってくる。右手と左手で交互に奏する冒頭部分、ラバの足音を想わせる伴奏が奏でられている一方で、それは個性的な旋律の一部にもなっている。
Xバルキス女王の行列 Le cortege de Balkis:アジアが舞台。女王様が率いる賑やかな行列。煌びやかな雰囲気の中で物憂げな女王の表情が目立っている。女王様を見ようとしたひとりの子供を、警護の男たちが追いかけている。後半の細やかなテンポ設定も、曲の物語性をより一層ひきたてている。