
解説:安川 智子 (670文字)
更新日:2006年9月1日
解説:安川 智子 (670文字)
フランスの作曲家、オルガニスト、指揮者。ロレーヌ地方のメス(ドイツ語読みではメッツ)に生まれるが、1870年の普仏戦争時にドイツに併合されたことにより、家族でパリに移住する。
パリ音楽院ではマスネに作曲を、フランクにオルガンを師事し、ふたりの師から技法面でも趣味の面でも、フランス音楽の真髄を吸収した。作曲では1882年にカンタータ《エディットEdith》でローマ大賞を受賞し、また1890年から98年までは、フランクの後任として、サント=クロティルド教会のオルガニストを務めた。
しかし生前のピエルネは何よりも指揮者として有名であり、また後世への影響という点でも、指揮者ピエルネが果たした役割は大きい。1903年にコンセール・コロンヌの副指揮者となり、1910年から1934年まで同楽団の首席指揮者を務めたピエルネは、師であるフランクをはじめ、同時代のフランス音楽を積極的に演奏して紹介した。特筆すべきは、数々の初演作品で、その中にはドビュッシーの《イベリア》、《映像》、《遊戯》、《ビリティスの歌》、《カンマ》、およびラヴェルの《海上の小舟》、《ツィガーヌ》、ルーセルの《春の祭典のために》、さらにはストラヴィンスキーの《火の鳥》パリ初演(1910) も含まれている。
マスネとフランクから受け継いだ、古典的で確かな作曲技法と、指揮者としての活動から学んだ当時のパリ最先端の管弦楽法は、ピエルネ自身の作品にも結実しており、今後もっと評価・演奏されてもよい作曲家の代表格である。ピアノ作品は、彼の作曲活動期間(1880-1936)の初期に多い。
作品(37)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (2)
管弦楽付き作品 (3)
ピアノ独奏曲 (13)
曲集・小品集 (4)
種々の作品 (6)
ピアノ合奏曲 (4)
室内楽 (2)
種々の作品 (3)