ミゴ : 黄道十二宮(ピアノのための12の演奏会用練習曲)
Migot, Georges : Le Zodiaque (12 Études de Concert pour le piano)
作品概要
解説 (1)
解説 : 西原 昌樹
(8675 文字)
更新日:2026年3月4日
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解説 : 西原 昌樹 (8675 文字)
ミゴのピアノ曲の代表作。全12曲。各曲が12星座名をタイトルに持つ。別の邦題に《獣帯》。譜面は正味125ページ、演奏時間90分。圧倒的規模と密度濃い内容から、フランスのピアノ音楽史上屈指の名作の一つに数えられる。ミゴにとってピアノは幼少より親しんだ主力楽器であった。速筆、多作のミゴは、生涯にわたって精力的にピアノ曲を書き続けた。未刊の作品群も含め、膨大な総数に及んでいる。本作は1931年にすでに初稿が書き上がり、1932年夏に推敲したと、高弟マルク・オネゲルは伝える(Honegger, Marc. 1977. Catalogue des œuvres musicales de Georges Migot, Strasbourg : Association des Publications près les Universités de Strasbourg)。同時期には他作品の作曲も並行し、本作に専念していたわけではないから、驚異的なスピードで、一気呵成に書き進められたとみられる。一瞬の停滞もないエクリチュールからもそれは明らかであろう。ミゴの全創作においては、ここを中期の輝かしい出発点と位置づけてよい。ともかくも多様な側面を持つ大作である。標題音楽であると同時に「12の演奏会用練習曲」(douze études de concert)との副題を持つエチュード集でもある。エチュードを謳う以上、両手十指によるメカニズムに焦点を当て、あらゆる技巧を極限まで追求していることは言うまでもない。さらに、本作の後にも先にも、ミゴにはこれと同種のエチュードが一作もない事実。結果的に、ピアノのテクニカルな局面に寄せるミゴの探究心は本作に全て注ぎ込まれ、過不足なく完全に凝縮され得たことになる。しかし、そこにとどまらないところにこそ、ミゴの本領は発揮される。近代の精巧な、究極の工芸品としてのピアノへの讃嘆。管弦楽にも比肩する広い音域と、直接打鍵しない倍音やハーモニクスをも含めた豊かな音響機能を具えた筐体への愛着を、ミゴはあとがき(Postface)で表明した。さらに、後述の通り本作に13名の被献呈者を象徴的に設定することで、古今のピアニストはもとより、おそらくは未来のピアニストをも賞嘆する意義を盛り込んだのである。ピアノと、ピアニズムと、ピアニスト。ピアノにまつわるソフトとハードの全てが、ここに余さず集成され、壮大なモニュメントを打ち立て、高らかな凱歌をとどろかせる。中期の始まりに、生まれるべくして生まれた一大マイルストーンであった。本作がきわめて特異な、ある種の侵しがたい勢威をもって燦然と君臨するゆえんである。
12曲は水瓶座に始まり、全星座を一巡して山羊座に至る。曲全体がそのまま一年のサイクルを形成する。本作のタイトルから、神話、占星術、天文学を思い浮かべる人は多かろう。ただ、ミゴが具体的に星座の何を表現しようとしたのかは、出版譜のあとがき(Postface)にも明確には述べられていない。そのかわり、1933年の初演直後に、詩人でもあったミゴ自身が「私のゾディアックのための詩篇」(Psaume pour mon Zodiaque)を書き、同年公表した。これは、仕上がった音を聴取して事後的に喚起されたイマジネーションを書き留めたもので、ミゴ作品にあっては特段珍しい趣向ではない。各曲に寄せる12の短文詩で、実質的に作曲者による解題と捉えられている。「詩篇」の内容は多分に抽象的、即物的、断片的である。プラネタリウムのようにロマンティックな天体ショーが展開されることはない。これが真の解題であるとするなら、本作は12星座の由来、本質、観念を高度に抽象化し、描出したものということになる。これを指して、マルク・オネゲルは「秘儀的、神秘的な手法」と言った(詳細は後述)。具象性、写実性、叙景性は、むしろ薄いのである。それでもなお、作曲者の解題や意図を超えたところで、本作が宇宙の拡がりを感じさせ、稀有のスペクタクル性をそなえて弾き手、聴き手を魅了してやまないのもまた、まぎれもない真実であろう。このあたり、ホルストの《惑星》とも一脈通ずる構図が見えるようだ。名作は、いったん作者の手を離れ、独り歩きをして初めて普遍性を獲得し、真の名作になるということだろうか。ミゴはもとより狭量な人ではないし、本作に限らず自分で後づけの詩をよく書いたり、周囲に話して聞かせたりしていたくらいだから、後世の人間があれこれと空想することを決して否定しないはずである。前列のない壮麗な音楽絵巻に、ピアノのファンクショナリティ、ヴィルトゥオジティまでもが不可分に結合した、この底知れない世界を心ゆくまで堪能したい。
本作の献呈先の設定と、その意義についても確認しておきたい。作品全体に1名、各曲に12名、合計で13名の被献呈者の名前が挙げられている。このように二重に献呈を設定するのは、ミゴ作品の常道である。楽譜を開くとすぐに、扉の「エマ・ルデュック=ラヴィーナに。音楽家である彼女を讃えて」(À Emma Leduc-Ravina, en hommage à la musicienne)との大きな献辞が目に入る。エマ・ルデュック=ラヴィーナ。19世紀フランスの代表的なコンポーザー=ピアニストの一人、アンリ・ラヴィーナの娘で、アルフォンス・ルデュック社の2代目社主(Alphonse-Charles Leduc)の妻、当時の3代目社主(Alphonse Émile Leduc)の母であった。喜寿を迎えてなお壮健、名門老舗出版社の創業者一族の大刀自として重きをなしたようだ。献辞の la musicienne には、生家、婚家とも音楽の名家で、生涯を音楽に捧げた人との含意があろう。ルデュック社が長くミゴを厚遇した背後にも当然、エマ刀自の了承があったはずだ。ミゴはこの大恩人に、本作を含め複数の重要作を献呈し、恩義に報いた。刀自の逝去した1943年には、追悼曲を捧げてもいる。本作の献辞は、エマの人生へのオマージュにほかならず、エマへ敬意を表することで、父君アンリ・ラヴィーナその人を、特にコンサートエチュードを得意としたラヴィーナの作品群を、義父にあたる創業者初代アルフォンス・ルデュックを、ひいては19世紀フランスのピアノ音楽をも広く宣揚しようとしたのではないか。19世紀終盤以降、少なくともピアノ曲の分野では新興のデュランの攻勢に押され、後塵を拝したルデュックが、ミゴの才能に意を強くし、老舗の威信をかけて本作を世に問うたことが見て取れる。レトロモダンとも言うべき美しい表紙と、堅牢な装丁、格調高い譜面。2006年に初版本の現物を手にした人によると、そのただならぬ威容に圧倒され、本を持つ手が震える思いがしたという。
扉に続いて本編に入ると、各曲の冒頭に被献呈者の名前が掲げられている。12名全員が、フランスを中心に当時第一線で活躍していた老若男女のピアニストである。12名を便宜的にグループ分けしてみたい。まず、ミゴ作品を積極的に演奏する「ミゴ弾き」たちがいる。これを仮に第1グループとしよう。エレン・フォスター、リビュッセ・ノヴァーク、マリー=アントワネット・プラディエ、エリアーヌ・ズルフリュ=タンロック、アンナ・ウラーニ。次に、ヒストリカルレコーディングなどで現代にも名を残す女性の名手たちを第2グループとする。マグダ・タリアフェロ、リュセット・デカーヴ、マルト・ブーヴェ=ガンシュ、イヴォンヌ・ルフェビュール。最後の第3グループは、当時すでに押しも押されもせぬ巨匠格であったイシドール・フィリップ、アルフレッド・コルトー、ラザール・レヴィである。第1グループは、ミゴ作品の常連だから、本作にも名を連ねるのは当然であろう。第2グループはどうか。各人共、同時代の音楽への関心が高かったのは確かだが、例えばタリアフェロといえばアーンとヴィラ=ロボス、といった具合に、御用達作曲家とのつながりが強く、ミゴを自発的に弾くかというと疑問符がつく。第3グループにいたっては、3人それぞれに確固たるレパートリーがあり、ミゴ作品を弾く可能性は第2グループ以上に低くなる。1930年代前半までは、ヴィドール、ピエルネ、ルーセル、ラヴェルも存命であったから、ミゴ世代にまで手が回らないのも無理からぬことではある。いずれにせよ、必ずしも全員が被献呈曲を弾くとは限らない状況は、ミゴ自身も、ルデュック社も重々承知していたはずだ。それでもなお、本作は12名の個別の献呈者を必要とした。それは、この12名をもって、老巨匠から若手実力派まで、あらゆるタイプのピアニストの象徴とすることで、世の全てのピアニストを称賛したいと願ったからではないだろうか。そして、エマ・ルデュック=ラヴィーナへの献辞の意味するものと重ね合わせるとき、過去と現在とが継ぎ目なくつながり、必然的に、未来をも見据え、後世のピアニストへの期待、激励ともなり得ているように思うがどうだろうか。念のために言っておくと、12名のピアニストの誕生日・所属星座と、被献呈曲の星座名とは全く関係がない。だから、現代の私たちが本作に挑戦しようとするときにも、自分の星座を考慮してもしなくても、どちらでも構わない。ミゴは占星術師の発想でこの大作を書いたのではない。ここでのミゴはどこまでも冷静な観照者であった。
本作の世界初演は1933年2月5日、トリノにて、アンナ・ウラーニが単独で全曲を演奏した。続く3月には、ウラーニがパリを含むフランス各都市を回ってフランス初演を実施。3月18日、エコールノルマル音楽院講堂における国民音楽協会(Société Nationale de Musique)公演では同じくウラーニが〈牡牛座〉〈乙女座〉〈山羊座〉を抜粋して演奏。3月30日、アルフォンス・ルデュック(3代目)夫妻邸宅にて、アンナ・ウラーニに加え、エレン・フォスター、エリアーヌ・ズルフリュ=タンロック、リビュッセ・ノヴァークの4名のピアニストが顔を揃え、分担して全曲を披露した。エマ刀自も臨席して大いに喜んだことだろう。全曲演奏、抜粋演奏、複数名での分担。本作をどのような形態で演奏してもよいことがわかる。1932年夏の脱稿からわずか半年の準備期間を経て発表され、出版社、興行主が一丸となって精力的なバックアップ、プロモーションにあたったことが見て取れる。それもこれも、単独で繰り返し全曲演奏を担ったアンナ・ウラーニの目覚ましい活躍があったればこそであろう。ミゴとウラーニの出会いは1931年に遡る。トリノ音楽院を訪ねたミゴが、フランコ・アルファーノ(プッチーニ《トゥーランドット》の補筆完成で知られる作曲家)と交流した折、紹介されたピアニストがウラーニであった。ウラーニの弾くピアノには、ミゴのインスピレーションを刺激する特別の魔力があったようだ。最終的に本作には13名の献呈先が設定されはしたが、実質的な演奏者としては明らかにウラーニが念頭にあったとみられる。ウラーニは予想以上の成果をもってミゴの期待に応えたことになる。ウラーニはこの後も、重要作《小さな羊飼の暦》の初演も手がけ、1930年代のミゴの主力ピアニストとなった。後年には、フランス人ピアニスト、ジャクリーヌ・エイマールが登場して本作の全曲世界初録音を敢行、ディスク大賞(1960〜61年度)を受賞し、本作に新たな命を吹き込むこととなる。総じてミゴは、長い創作活動を通じ、必要なタイミングにはいつも、最適任の優れた演奏者を引き寄せることのできる人であった。これも作曲家の能力の一種であろう。ミゴのピアノ作品は、そのときどきの名だたるピアニストたちを軸に論じることが出来るほどである。
本作の発表後すぐに、2冊の派生本がルデュックから相次いで出版された。「ミゴの黄道十二宮について」(ピエール・ヴォルフ著)1933年刊と、「ミゴの黄道十二宮をめぐる評論と著作選集」(Quelques extraits critiques et textes consacrés au Zodiaque de G. Migot)1934年刊である。後者には、先に挙げたミゴ自身の「私のゾディアックのための詩篇」や、ヴァイオリニスト・詩人・画家のアルテュール・ペトロニオ(Arthur Petronio)による「アンナ・ウラーニへの頌歌」(Ode à Anna Urani)も収載された。本作に確かな反響があったことがうかがえる。先に挙げた国民音楽協会公演での抜粋演奏に対する当時の批評誌記事を見るに("Le Ménestrel" 1933年3月24日号)、好意的ながらどこかよそよそしいトーンが気にかかるが、逆に、響く人には徹底的に響くということだろうか。後世の主要な所見を挙げておきたい。ジャン・ロワは「作曲者は、黄道十二宮の多様性のもと、ピアノの多彩な表現方法と彫刻のような立体性を探究し、この作品に集約することを意図した」「書法は驚くほど軽快だ。『真珠の滝』の美しさと、管弦楽的効果がある一方、過剰な名技性、三度、六度は盛り込まれない。譜面の見た目は物足りないくらいだが、音を出せば十分に充たされる。和声の織り成す豪華な絨毯、繊細に絡み合うリズム、旋律の誕生と再生。入念に扱われる美しい音の素材から、完璧な彫刻の官能的曲線に現れる微笑のような優雅さが漂い、魂が宿ることを証だてる」と称えた(Roy, Jean. 1959. Texte de présentation, Georges Migot : Le Zodiaque par Jacqueline Eymar, Paris : Lumen)。ギイ・サクルは「壮大な作品」「ピアニストの技巧を響き渡らせると同時に、星座の象徴性を詩的に表現する」と評した(Sacre, Guy. 1998. La musique de piano T.02. Paris: Robert Laffont)。高弟マルク・オネゲルは「ピアノという楽器の輝かしい栄光を称える記念碑」であるとし「ジョリヴェの《マナ》(1935年)やメシアンの《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》(1944年)に先んじて、いち早く秘儀的、神秘的な手法に及んだ例」と音楽史上の意義を強調した(Honegger, Marc. 1987. Commentaires pour “Georges Migot : Oeuvres pour piano par John Hoyland.” St-Maur, France : Cybelia)。三人三様で、いずれも興味深い。現在、本作は一定の知名度こそあれ、既存の数少ない商業録音ベースの一面的、断片的な紹介にとどまっている実情がある。その難技巧が、多くのピアニストの敬遠を招いてもいる。かてて加えて、ミゴ本人に対する半可通の評価が横行し、かえって普及の妨げとなってきたことも否めない。しかし、ギイ・サクルの言葉を借りれば、ミゴは「20世紀フランス音楽の一章を丸々占めている」(Ibid.)ほどに傑出した存在なのである。本作は知る人ぞ知る秘曲どころではなく、普遍的名作なのである。気宇壮大にして精妙巧緻。男性よりも女性が深く成立に関与した。いかなる派閥、潮流にもカテゴライズされない。これほど自由で、ニュートラルなピアノ曲もない。時代を百年ほども先取りしている。今後、ミゴの真の力量が正視眼で評価され、本作がピアノ音楽史に占める正当な地位にふさわしく広く演奏され、親しまれることを切に願うものである。本稿の結びに、各曲タイトル、標語、被献呈者、「私のゾディアックのための詩篇」の試訳(拙訳)をまとめておきたい。
献辞
エマ・ルデュック=ラヴィーナに
音楽家であるこの人に敬意を表して
A EMMA LEDUC-RAVINA
en hommage à la musicienne
第1曲 宝瓶宮(水瓶座)Le Verseau
速く、軽やかに Rapide, léger 6/8
エレン・フォスターに Pour Elen Foster
「ここに水がある。線、量、律動、色彩を生み出すと同時に呑み込んでしまう原理である水。期待と逃避、永遠にはかない永遠、とめどなく変化する結晶である水」
第2曲 双魚宮(魚座)Les Poissons
とても中庸に Très modéré 18/8
マグダ・タリアフェロに Pour Magda Tagliaferro
「二匹いて、違う方を向いている。一匹が動けば水は上に流れ、もう一匹が動けば水は下に流れる。水は二匹の間を横切る。それとも、二匹が水を横切るのか。二匹は何を待つのか。いや何も。太古の昔から、鈍く澄んだその目玉は、地球で最初の目撃者として網膜に焼き付けた生命誕生の原理を、いつまでも映し出すばかりなのだ」
第3曲 白羊宮(牡羊座)Le Bélier
四分音符=70位 3/4
リビュッセ・ノヴァークに Pour Libussé Novak
「欲する。いつでも欲する。欲しなければ何一つ成し遂げられない悲しみとともに。この世の跳躍台であるという強い自負とともに」
第4曲 金牛宮(牡牛座)Le Taureau
中庸に Modéré 3/4
イシドール・フィリップに Pour I. Philipp
(注:フィリップは自らのファーストネームを好まなかったといい、生前少なくともフランスでは常に I. Philipp の名義を用いた。ここでの記載もそれを踏まえたもの。決して Pour Isidor Philipp とは書かれなかったのである)
「生殖の原理。誰を愛するかを選べない厳しい原理だ。ここには優しさもある。愛さざるを得なかったものを愛するのだから」
第5曲 双児宮(双子座)Les Gémeaux
優しく Avec tendresse 3/4
リュセット・デカーヴに Pour Lucette Descaves
「双生児である二人は、同じ瞬間に生を享けた魂の喜びに包まれ、互いに優しさを与え合う」
第6曲 巨蟹宮(蟹座)L'Écrevisse
荒々しく明瞭に、始終頑固で融通のきかない調子で Rude et bien articulé, avec entêtement, inflexible du cemmencement à la fin 3/4
マリー=アントワネット・プラディエに Pour Marie-Antoinette Pradier
「君のリズム感は、力強くて見事だけれど、どこか頓珍漢だ。前進しようとして、後退する。まっすぐに進もうとして、わざわざ曲げなくてはならない君の甲殻がいっそもどかしい。君の絶望、君の意志、君の瞋恚、君の運命はどこに行くのだろう」
第7曲 獅子宮(獅子座)Le Lion
重く、しかし遅くなく Large, mais sans lenteur 3/4
アルフレッド・コルトーに Pour Alfred Cortot
「強い。しかし獰猛ではない。周りに怖れられ、孤高の悲しみをつのらせて。それでもなお、とてつもなく優しい」
第8曲 処女宮(乙女座)La Vierge
付点四分音符=96位 12/8
ラザール・レヴィに Pour Lazare Lévy
「ただなよなよとして、何も知らず無垢なのに。心をときめかせ、道を見つけたりする。進む勇気もないのに。また考え直しては、首をかしげながら戻ってきたりする」
第9曲 天秤宮(天秤座)La Balance
四分音符=75〜80位 3/4
マルト・ブーヴェ=ガンシュに Pour Marthe Bouvaist-Ganche
「好きこのんで天秤にかけるわけじゃない。ちょうどよくバランスをとりたいだけさ。しっかりした土台だってある。だのに、歌いかけてくる思いがある。愛の重みなど量れるのかと」
第10曲 天蝎宮(蠍座)Le Scorpion
速く Vite 9/8
イヴォンヌ・ルフェビュールに Pour Yvonne Lefébure
「君は自分が自由だと思い込んているけれど、自分の体の描く弧から逃れられないのだ。君の尻尾はいつか、君の頭を殺すだろう」
第11曲 人馬宮(射手座)Le Sagittaire
速く Rapide 9/8
エリアーヌ・ズルフリュ=タンロックに Pour Éliane Zurfluh-Tenroc
「幻の矢はどこに飛んでいくのか。ケンタウロスは何を追いかけるのか。飛び跳ね、立ち止まり、駆け出し、矢を射る。標的も定めないままに」
第12曲 磨羯宮(山羊座)Le Capricorne
決然と Décidé 2/4
アンナ・ウラーニに Pour Anna Urani
「力、優しさ、律動、穏やかさ。疲れもせずせっせと縄張りを作っては、そこで動き回る。しかし、縄張りから外に出るには、縄張りを破壊しなくてはならない」
