アメリカ滞在期の作品。1945年4月、ロサンゼルスにて作曲。ピアノ版と管楽合奏版が同時に成立した。Lee and Dr. (Sam) Kestenbaum への献呈。ケステンバウムは当時ロサンゼルス、特にハリウッドエリアのユダヤ系コミュニティで作曲家、演奏家の世話役を務め、献身的な支援にあたった人物。アメリカで苦労を重ねていたタンスマンには心強い友人であったろう。緩急緩急の短い4つの小品よりなる。第1曲〈前奏曲〉(Prélude)アンダンテ・カンタービレ 4分の4拍子、第2曲〈インヴェンション〉(Invention)ヴィーヴォ 4分の4拍子、第3曲〈夜想曲〉(Nocturne)レント 4分の3拍子、第4曲〈ブルレスク〉(Burlesque)ヴィーヴォ 4分の4拍子。タンスマンの明快な新古典的手法は最初期より一貫しているが、1930年代後半からはポリフォニック、半音階的、無調的傾向の深化、拡大を図った。ここでも簡潔明瞭な書法を主体としつつ、現代的で複雑な陰影が随所に出ている。