シューマンの協奏曲ジャンルは、なぜか4年周期でやってくる。ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54の大成功から4年後の1849年、シューマンは再び協奏曲のジャンルに取り組んでいた。2月には珍しい楽器編成から成る《4本のホルンのための小協奏曲》(コンツェルト・シュテュック)Op.86を書き上げると、同年の秋、今度はピアノ独奏と管弦楽のための小協奏曲、《序奏とアレグロ・アパッショナート》ト長調に取りかかった。それは9月18日~20日にスケッチが行われ、21日~26日という短期間で作曲された。(このOp.92から4年後、シューマンは再びこのジャンル、《序奏と協奏的アレグロ》Op.134を完成させることになる。)
初演は1850年2月14日にライプツィヒのゲヴァントハウスにて、妻のクララ・シューマン(1819-1896)によるピアノ独奏、ユーリウス・リーツ(1812-1877)の指揮で行われた。聴衆の反応は芳しくなく、また同地の音楽雑誌評も、クララの演奏は評価したものの、作品そのものに対しては概して批判的だった(リーツは1848年に、フェーリクス・メンデルスゾーン(1809-1847)の死を受けて、ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者とライプツィヒ音楽院作曲科の教員に就任した人物で、Op.92初演の2週間足らず前にはチェリストとして、シューマンのピアノ三重奏曲 第2番 Op.80の初演を成功させている)。1851年3月13日にデュッセルドルフで行われた再演では、シューマン自身が指揮を振り、初演に比べるとはるかに良い反応を得た。
初版は1852年2月、ライプツィヒのブライトコプフ ウント ヘルテル社からピアノ譜とオーケストラのパート譜が、そしてそれから20年近くたった1873年の12月に総譜が出された。
編成は次の通り――独奏ピアノ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部。
【序奏】ゆっくりと、ト長調、4/4拍子。チェロの属音ペダルとピアノの分散和音に乗せて、クラリネット・ソロの旋律が抒情的に歌い始める。ほかの楽器も次々と加わっていき、豊かな音色の詩的世界を創り上げていく。終結部はピアノが付点リズム音型から成るフレーズを奏で、意味深長なイ短調の和音で閉じる。
【主部】アレグロ、2/2拍子、ソナタ形式による。3連符のアウフタクトに合図される提示部の付点主題はホ短調で、オーケストラ・トゥッティと独奏ピアノが交互に対話する。独特な旋律の第2主題はやはりホ短調で、まずは独奏ピアノの左手低音部に、次いで右手に顔を出す。そしてさらに第3の主題が、独奏ピアノのハ長調の分散和音とともに現れる。その後は2つの部から成る展開部、再現部と続いてゆく。