1747年5月7日、バッハはプロイセン王フリードリヒII世の招きを受け、ポツダムの王城へ伺候した(夏の離宮だったサン・スーシ宮殿ではないと考えられている。現在、この謁見が行われたとされるポツダム城Stadtschloss は残っていない。戦災を受け、旧東独が財政上また政治上の理由から建物の再建を放棄して、1959年に解体撤去された。以来、跡地を示す立て札を残して空き地となっている)。自らも優れた音楽家であったフリードリヒ大王はフーガ主題をひとつ与え、バッハはこれを即興で展開して人々の喝采を浴びた。謁見後、3声のリチェルカーレと7曲のカノンを印刷して7月7日に献呈、さらに9月末にはカノンを2曲と6声のリチェルカーレ、王が得意としたフルートの参加する4楽章のトリオ・ソナタを書き足し、『音楽の捧げもの』と題して出版した。
分冊で出された出版譜は最終的に12曲となったが、バッハがここにどのような配列を意図していたかは結論が出ていない。そもそも通しで演奏されるように構想されたかどうか自体、確証はないのだ。新バッハ全集(VIII/1)では、2つのリチェルカーレ(BWV1079/1, 2)とトリオ・ソナタ(BWV1079/3)をこの作品の柱とみなし、カノン群をこれら3曲のあとに置いた。使用すべき楽器、編成についてもほとんど指定されていない。確実にチェンバロ1台で演奏可能なのは、2つのリチェルカーレと2つのカノン(BWV1079/4a, 4i)の計4曲である。ただし、これらが当時の最新の楽器だったフォルテピアノのために書かれたとするのは、早計だろう。確かに当時の記録によれば、大王はバッハにジルバーマン製フォルテピアノの試奏を求めた。が、王の宮廷鍵盤奏者を長く務めたカール・フィリップ・エマーヌエルは、1740年代にすでにフォルテピアノ作品を残しており、そこには多数の強弱記号が書き込まれている。対してバッハは、『音楽の捧げもの』に強弱記号をまったく付していない。もちろん、これら4つの曲を現代のピアノで演奏するなら、チェンバロや複数の楽器による編成とは違う豊かな効果が得られることは間違いないだろう。バッハが楽器を指定したのは、「2つのヴァイオリンによる」同度のカノン(BWV1079/4b)と、「フルート、ヴァイオリン、通奏低音のための」トリオ・ソナタのみである。また、カノンにせよ唯一絶対の解答が得られているわけではなく、新バッハ全集に示されたのは一つの可能性でしかない(なお、新バッハ全集の校訂報告にはこれまでに提案された解決がいくつか収載されているが、誤っているものも多い)。――この作品は、さまざまなレベルで探求すべき謎を我々に残している。それは裏を返せば、どのような形での再現もありうる、ということである。
3声のリチェルカーレ(BWV1079/1) ハ短調 4/4
バッハは『音楽の捧げもの』に極めて手の込んだ副題を付けた。「王の命令による楽曲、およびカノン技法で解決せられるほかの楽曲 Regis Iussu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta」、このラテン語の単語の頭文字を繋ぎあわせると、「RICERCAR」、すなわちリチェルカーレとなる。これは厳格な対位法で書かれた作品に用いられる古い名称のひとつだが、トッカータに類する即興的な前奏を指すこともあった。この3声のリチェルカーレは、バッハが実際にポツダム城で行った即興演奏を基にしていると考えられている。それはたとえば、ときおり走り出すように登場する三連符の対旋律、いささか単調な模続進行の多用などに表れている。もちろん細部まで完全に書き起こしたものではない。シンメトリックな前半の構成や、厳格な動機労作と対位法を駆使した後半の細部は、バッハが帰宅してから綿密に手を入れた成果であろう。
6声のリチェルカーレ(BWV1079/2) ハ短調 2/2
バッハは6声フーガの即興を求められたが、大王の御前ではすぐに果たせなかったという(『個人略伝』(1754)、およびJ.N.フォルケルの『バッハ伝』(1802)にも同様の記述がある)。それで改めて課題を仕上げた。いわば、宿題を果たしたのがこの楽章である。6段の総譜に記されており、いっけん抽象的な対位法作品のようにみえるが、演奏はチェンバロ1台でも可能である。また実際に、出版後の改定稿として鍵盤楽器用の大譜表に書かれた自筆譜が伝わっており、バッハ自身も鍵盤作品として構想していたことが判る。
なお、大王へ献呈された印刷譜では3声のリチェルカーレに付けられた副題が、出版譜においてはこの6声の楽章に振り替えられている。さらに付言するなら、バッハが自作品に「リチェルカーレ」のタイトルを用いたのは、この『音楽の捧げもの』のみである。
逆行カノン ハ短調 2/2
正方向ではソプラノ譜表の単旋律として書かれている。が、最終小節にはさかさ向きのハ音記号が第5線上にあり、つまり冒頭と末尾から同時に演奏して音楽になるように工夫されている。
「求めよ、さらば見出さん Quaerendo inveietis」のカノン ハ短調 2/2
カノンの解決法が与えられていない、いわゆる謎カノン。正方向ではアルト譜表単旋律、また冒頭小節にさかさ向きのバス記号が置かれており、第2小節最終拍から反行でスタートする。