ロシア人として国際的な評価を得るに至った最初の作曲家と考えられている。また、当時の多くのロシア人作曲家と同様に、貴族の身分で、言わばディレッタントとして音楽に携わるようになった。そして、イタリアやベルリン、パリにも足を運び、そこで触れた和声法にロシアの音楽の要素を折衷させる方法を模索した。その試行錯誤は、後のロシアの音楽が、グリンカを模範としながら新しい道を切り開いていったことから、ある程度成功していると言えるだろう。この作品は、そのような遍歴を持つグリンカの晩年の作品の1つとして数え挙げることができる。グリンカが43歳の時、1847年に作曲された。タイトルの《スコットランドの主題による変奏曲》とは、グリンカ自身が付したものである。しかし、この曲のオリジナルは、実際には、名高いアイルランド民謡<夏の名残のバラ(庭の千草)>に基づく変奏曲となっている。
この曲の冒頭には、バーチュシコフ(1787-1855)の「おお、感情の記憶よ! おまえは理性の悲しい記憶よりも強い」という詩が引用されている。4分の3拍子のこの曲は、6小節の導入部で開始する。そして、おなじみのメロディーが和音を主体とした伴奏に乗り歌われる。第1変奏では、伴奏の和音が構成音に分解され、メロディーには内声が添えられる。次の第2変奏はレガート・アッサイの指示がなされており、主として、3声体で扱われる。続いて、非常に規模の大きいフィナーレがヴィヴァーチェ・アジタートの8分の6拍子で書かれており、拍子や主体とするリズムを多様に変化させながら、音楽を展開し、曲を閉じる。