モーツァルトのオリジナルなピアノ協奏曲は第5番からであり、1767年、11歳のときに生み出された第1~4番のピアノ協奏曲は、他人のピアノ・ソナタの編曲である。原曲は主にパリで活躍していたドイツ系作曲家のものであり、旅行中の交流によって、モーツァルトに強い影響を与えた。父レオポルトは彼らの作品の楽譜を持ち帰り、息子に協奏曲の作曲を練習させたのだろう。自筆譜には、父親の筆跡も残っている。
当時のパリはヨーロッパにおける文化的中心地であった。1760年代、各地を訪れていたモーツァルト父子がパリに滞在したのは63年11月からの5ヵ月間と66年5月からの2ヶ月間である。2度のパリ訪問を含むこの西方旅行によって、少年モーツァルトはさまざまな音楽を吸収し、作曲の幅も広げることになった。4曲のピアノ協奏曲はその成果のひとつといえよう。
各楽章の原曲は以下のとおり。
第1楽章=L. ホーナウアー、作品2-1(第1楽章)
第2楽章=J. G. エッカルト、作品1-4(第1楽章)
第3楽章=C. P. E. バッハ、クラヴィーア曲集Wq. 117より《ボヘミアン》
レオンツィオ・ホナウアー(c1730-c90)はパリで活躍し、高い評価を受けていたドイツ人音楽家。アウクスブルク生まれのヨハン・ゴットフリート・エッカルト(1735-1809)はパリでモーツァルト父子と出会い、レオポルトに高く評価された。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-88)は言うまでもなくJ. S. バッハの息子で、当時はベルリンで活躍していた。モーツァルトは直接出会うことはなかったが、父レオポルトが早くから注目していた作曲家である。