ベートーヴェンの後半生に当たる19世紀前半、ソナタ形式はドイツ・フランスにおいてA. B. マルクス(1795~1866)や、スタマティが作曲を師事したA. レイハ(1770~1836)に代表される理論家によって図式的な説明が行われ、定式化された。雛型としての「ソナタ形式」の誕生は、作曲家の創作にステレオタイプな形式的前提を与えることとなったが、F. リスト(1811~1886)やF. ヒラー(1811~1885)のような作曲家は1850年代に入って単一楽章によるピアノ・ソナタによって新しいソナタの方向性を示した。一方、ショパン(1810~1849)、スタマティ(1811~1870)、S. タールベルク(1812~1871)は、ソナタ形式のアレグロに始まり緩徐楽章とスケルツォのいずれか又は両方がそれに続き、フィナーレで締めくくるという古典的なピアノ・ソナタないし交響曲の構成を採用した。
19世紀、音楽芸術の模範の地位にまで高められたベートーヴェンのソナタと交響曲はとりわけ後者の一派のモデルとなっている。スタマティのベートーヴェンへの傾倒は著しく、1843年の「ソナタ 第一番」ヘ短調 作品8 と本作「大ソナタ」ハ短調 作品20でフランスにおけるベートーヴェンの後継者としての気概を示した。
「大ソナタ」作品20はピアノのための交響曲と言って差し支えない形式と内容を備えている。4楽章構成をとり、既にオーケストレーションが頭の中に完成していたと思わせるほどに各パートは入念に書き分けられ、それぞれのパートで主要モチーフが展開される。ピアノから引き出されるシンフォニックなスケール感・奥行きは、スコアを読み込む長い習慣と作曲法の研究、オーケストラを指揮した経験、優れたピアニストとしての才能がもたらした幸福な結実に他ならない。オランダ国王ウィレム3世(1817-1890)に献呈。
第1楽章:アレグロ・モデラート, コン・エスプレッシオーネ ハ短調 4/4拍子
調性はベートーヴェンの第5交響曲と同一だが、第二主題は変ホ短調で提示される。再現部は展開部で入念に扱われた第2主題を省略し縮小した形で提示される。
第2楽章:アンダンテ, センプリーチェ 変イ長調 3/4拍子
単純さ、簡潔さは19世紀の芸術家が古典作品に見出した形式美の条件であった。「単純にsemplice」という表示の下に示されるコラール風の素朴な主題はまさに古典的単純さの理念を体現している。c-des-f-esという音の並びはベートーヴェンが学んだフックスの対位法教程にある有名な主題c-d-f-eからきているのかもしれない。同時に、この主題はベートーヴェンが1803年に出版した《ピアノまたはオルガンのための全長調にわたる2つの前奏曲》の第二曲ハ長調の主題(e-f-a-g)と同じ音程によって構成され非常によく似ている。古典に通じていたスタマティがこの作品を知っていた可能性はあるだろう。主題の自由な変奏を通して劇的に展開され、崇高な宗教的感情が高揚していく。
第3楽章:スケルツォ・カプリチョーゾ, ヴィヴァーチェ ハ短調 3/4拍子
複合三部形式。主部―中間部―主部という古典的スケルツォ楽章の定型に基づく。中間部はハ長調で金管楽器の輝きを放つ三連符の新しいモチーフが導入される。
第4楽章:フィナーレ, アレグロ・ノン・トロッポ ハ短調 2/4拍子
鮮烈なリズム・オスティナートを特徴とする舞踏的フィナーレ。度々現れるハ短調の主題の他に、変ホ長調の主題も導入され展開されるというロンド風のソナタ形式をとる。プレストの畳みかけるようなコーダはこの大規模なソナタの締めくくりに相応しい壮大な効果を生み出す。