林 光 1931-2012 Hayashi, Hikaru
解説:丸山 瑶子 (1068文字)
更新日:2018年4月24日
解説:丸山 瑶子 (1068文字)
教育歴
4歳で自由学園早期音楽教育実験グループの園田清秀に入門、10歳で尾高尚忠に作曲法を師事する(尾高の死後は池内友次郎に師事)。また小学生の頃にオペラ小劇場こんにゃく座を鑑賞し、オペラへの関心が芽生える。慶應高校時代には西洋音楽史教師の遠山一行の授業を受けたほか、後に劇団四季を創設する浅利慶太や日下武史と演劇部を結成。1951年に東京藝術大学に入学するが53年の《交響管弦楽のための第 一章》発表後に中退。
活動
早期から室内楽やピアノの創作を始め、大学生時代以降は管弦楽曲も次々と発表し多数の受 賞歴を誇る。芸術祭賞3回(初回53年《交響曲ト調》に日本的な主題とソビエト音楽の技法が認められている)、尾高賞2回、モスクワ国際映画祭作曲賞、サントリー音楽賞ほか。学生時代から幅広い音楽・芸術活動を展開し、その中で歌声運動や民衆芸術への興味も深めていった。
オペラでは日本の方言を含む話し言葉の抑揚を生かした作風に努め、高評価を得ている(1955年ラジオ・オペラ《裸の王様》、58年《あまんじゃくとうりこひめ》など)。こんにゃく座には75年以降 芸術監督兼座付作曲家に就任し日本語オペラを多数発表する。また《セロ弾きのゴーシュ》のように1台のピアノが全音楽を担当する「ピアノ・オペラ」も創始した。
一方、アニメやドキュメンタリーを含む多分野の映画音楽も制作する。特に新藤兼人監督の 『第五福竜丸』(1959年)以来は同監督作品の大半を担う。他方、劇音楽では早くも1949年俳優座《フィガロの結婚》を手がけた。後には1966年《イスメネ・地下鉄》以降の劇団黒テントの佐藤信との共同が有名である。その他、 ライフワークとして宮沢賢治作品の音楽化に取り組む(2000年、CDブック《賢治の音楽室》
) 。
作風
創作活動は音楽、社会に対する林の問題意識 の強さを反映している。先述のオペラに見られるように、日本独自の言葉や主題を取り入れた作風には、自国文化を尊重する姿勢が窺える。 音楽を民衆芸術とみなし、日本国民音楽の発展を目指して間宮芳生、外山雄三らと発足した「山羊の会」もその一例だろう。また政治、社会的問題を扱った作品も多い。被爆詩人・原民喜の詩に着想を得た《原爆小景》(1958年第一部初演 ~2000年最終章完成)、天安門事件に刺激された 《第3交響曲「八月の正午に太陽は…」》 (1990年) など。作曲語法には国内外の民族的要素のほか、 音列、トーン・クラスタ、シュプレヒコール、 即興性など様々な表現可能性を積極的に取り入れている。
作品(41)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (1)
ピアノ独奏曲 (10)
ソナタ (3)
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曲集・小品集 (2)
子供のための作品 (3)
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変奏曲 (2)
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カデンツァ (2)
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ピアノ合奏曲 (5)
種々の作品 (10)
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室内楽 (3)
リダクション/アレンジメント (3)
種々の作品 (2)
その他 (2)