ナザレ 1863-1934 Nazareth, Ernest

  • 解説:小林 由希絵 (1221文字)

  • 更新日:2018年3月12日
  • ブラジルの作曲家、ピアニスト。1863年3月20日にリオ・デ・ジャネイロに生まれる。父は税官吏の仕事をしていたが、暮らしぶりは楽ではなかった。幼少の頃より、ピアニストであった母よりピアノの手ほどきを受けるが、ナザレが10歳の時に母が死去。しかし、その後もブラジル銀行から奨学金をもらいピアノと作曲の勉強を続け、エドゥアルド・メディラ、ルシアン・ランベルトらに師事した。モーツアルトやベートーベン、ショパンなど様々な作曲家たちの作品に触れる中で、ナザレが最も影響を受け、こよなく愛した作曲家はショパンであった。 やがてポルカやマズルカなどを作曲するようになったナザレの音楽的才能は、10代の早い時期から頭角を表しはじめ、14歳で自ら作曲したポルカ〈あなたはよくご存知(Voce bem saba!)〉を出版。3年後の17歳の時には初リサイタルを開催し、ピアニストとしてのキャリアもスタートさせた。 21歳の時には、作曲のみならず、作詞まで自身で手がけたポルカ〈はち鳥(Beija-Flor)〉がブラジル中で大人気となり、ナザレの名は一躍有名なものとなった。以後、ナザレは作曲家として、また、ショパンやベートーベンから自作曲まで演奏するピアニストとして、二足のわらじで活動してゆくこととなる。  ナザレの生きた19世紀後半から20世紀初頭は、技術革新からラジオやレコード、映画など、新しい娯楽芸術が次々と誕生した時代で、ナザレの作品もラジオやレコードの普及と共に、ブラジル全土のみならず、国境を超えて聴かれるようになった。 また無声映画の分野へも活躍の場を広げ、1909年、リオに出来た「シネマ・オデオン」で演奏するようになる。「シネマ・オデオン」とは当時の文化の最先端であった映画館であり、知識人や上流階級の社交場となっていた。ここでの彼の演奏はたちまち人気を集め、ナザレの演奏を聴くために、開演の1時間前には人だかりが出来ていたという。この劇場でナザレと共に演奏していた中には、ブラジルを代表する大作曲家エイトール・ヴィラ=ロボスもおり、のちにヴィラ=ロボスは「ナザレこそ、ブラジルの魂を真に具現化する音楽家」と賞賛している。  ナザレの作風は、幼少期から大好きであったショパンのような甘い調べと、「ブラジル風タンゴ」やショーロなどブラジルの民族音楽のリズムを見事に融合させたもので、ショパンが故郷ポーランドの舞曲をピアノの芸術作品に昇華させたように、ナザレもブラジルの民族舞曲をピアノを用いて芸術音楽として確立させていった。  ナザレが生涯に作った曲の数は、実に220曲を超える。経済的な理由で留学や音楽院など高等教育を受けることができなかったため、管弦楽などの大曲は作っておらず、その大半がピアノ曲と歌曲であるが、天性の歌心と優れたリズムと和声感覚で、ブラジル音楽を瑞々しく表現し、「ブラジルのショパン」として今も多くの人に愛されている。

    執筆者: 小林 由希絵
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    作品(25)

    ピアノ独奏曲 (2)

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