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浅川 春男 1942-2022 Asakawa, Haruo

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  • プロフィール (1305文字)

  • 9歳の時、農作業中 右手拇指の先を切断。16歳よりピアノの手解きを享ける。1963年(昭和38年)東邦音楽短期大学ピアノ科を首席で卒業。それ迄は手作りの板鍵盤で勉強。同年NHK読売新聞社主催・第33回新人演奏会に独奏と伴奏部門でデビュー。その後桐朋学園大学、モスクワ音楽院、バルトーク・コンセルバトワール 及びリスト音楽院に学ぶ。モスクワ音楽院へは、桐朋学園に籍を置いていた当時、日ソ音楽使節の企画があるのでモスクワ音楽院に行って見聞を広めるようにと 井口基成学長から勧められ、その企画に参画、既に留学しハチャトリアンの許で研鑽を積んでいた 寺原伸夫氏と親交を深める。又ハンガリーへの留学は1971年(昭和41年)にバルトークのミクロコスモス全6巻の演奏と解説により、在日ハンガリー大使館の文化担当官(シャンドール・マーチュシュ氏)よりハンガリーで研鑽を積むよう推挙され、翌年9月に留学。留学早々 ハンガリーのセンドレ・イワンの台本”ドラマティックオペラ<シシマヤ>に作曲し、ルービック教授が学んだ工科大学のホールで初演される。在学中、第二次大戦前ハンガリー領だったトランシルヴァニアにも足を運ぶなど、旧ソ連・東欧諸国の比較民俗音楽の研究に従事する。
    又 大使館の要請により 第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで優勝した小林研一郎氏の全日程の通訳を務める。リスト音楽院では作曲、ピアノ、ソルフェージュ、室内楽、指揮、民俗音楽学を、並行してバルトークコンセルバトワールにも籍を置きフルートとクラリネットそれに民俗楽器のチンバロム奏法を修得。
    13管楽器と打楽器の為の<バガテル>とオーケストラの為の<日本組曲>は小林研一郎氏の指揮で初演される。
    又 恩師であり、世界的なチンバロム奏者のタリヤーニ・トート・イダ女史の演奏でピアノとチンバロムの為の<カプリチオ>がハンガリーからCDでリリースされ、国内外の演目に度々採り上げられている。
    帰国後1983年(昭和58年)に日本楽友協会を創設し、精力的な創作と演奏活動に加え、1979年(昭和60年)に〔音部記号と音高の手話の理論〕を発表。又 通訳、翻訳、文学の分野にと 多岐に亙る活動を展開し、朝鮮半島や中国大陸にも出掛け民俗音楽の論文も数多い。留学中スエーデンの音楽祭(1973年)に招聘され、そこで作曲したピアノトリオ<アルヴィカ>はその音楽祭で初演され、その後リスト音楽院で室内楽の教材にも採用された。又ピアノ・ソナーロ<エテルナ>はポーランドのシチェリンで完成し、ワルシャワで自作自演により初演をする。
    尚 ピアノトリオ<アルヴィカ>と〔ピアノ・ソナーロ〕シリーズは文化庁助成枠としてJFCから出版され、広く国内外に配信され、演目にも採り上げられている。
    他に、東京保善高等学校校歌、PL学園のPLの歌、ハトヤの社歌など耳にする作品など。故・福田靖子氏の要請に応え、氏が創設した一般社団法人全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)およびその前身・母体である株式会社東音企画への協力を続けてきた。ピティナ作曲会員第一号。
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    作品(44)

    ピアノ独奏曲 (1)

    曲集・小品集 (27)

    ピアノ合奏曲 (1)

    曲集・小品集 (14)