初出は13人の作曲家が1曲ずつを提供したシレーヌ社のピアノ曲集「13の舞曲集」(1929年刊)への所収。これが初版に相当する。シレーヌの廃業後、「13の舞曲集」の版権はマックス・エシックが承継したが、それとは別にルデュックが1934年に改訂版をピースで出した。初版と改訂版とは細部にかなり相違があり、ミゴの創作、加筆手順の一端もうかがえて興味深い。フランスでは第一次大戦前から戦間期にかけ、複数の作曲家による合作、アンソロジー、オマージュ等、いわゆる企画ものが活況を呈した。シレーヌの社主ミシェル・ディヤール(Michel Dillard)の発案による「13の舞曲集」もその一つで、特に表紙と背表紙のイラストをロシアアヴァンギャルドの画家ミハイル・ラリオーノフが手がけたことで知られる。参加した作曲家はミゴのほかにベック、ドラノワ、フェルー、ハルシャニー、ラルマンジャ、ロパトニコフ、マルティヌー、ミハロヴィチ、ロザンタール、シュルホフ、タンスマン、ヴィエネ。「一人組」を自称したミゴがこの種のコンピレーションに加わること自体珍しいうえ、他の作曲家たちの作品のほとんどが1920年代後半の世相や楽壇の傾向を反映してジャズ、大衆音楽あるいは新古典主義的作風を見せる中、超然として独特の力感にあふれた本作はひときわの異彩を放つ。「セーギュ」という既成の舞曲様式は存在しないから、イタリア語の楽語「セグエ」(「続けて演奏」の意)などに着想を得てミゴが自前で創案した一種の架空の舞曲と捉えられる。副題に「遅い舞曲」(Danse lente)。9/8拍子、遅く、造形的に(Lentement et plastiquement)。ヘ調を主調とするが一定しない。地を這い回るような低音、緊張度の高い、どこか呪術性を感じさせるメロディ。三声から四声の声部が絶えず錯綜する。要所要所に出てくる「こだまして」(en écho)の表示が楽想の区切りの役割を果たし、タイトル通り次の楽想が連続(セーギュ)していく。総じて他に類例のない、異形の舞曲といえよう。ギイ・サクルは「ある種の魔術が感じられる」という(Sacre, Guy. 1998. La musique de piano T.02. Paris: Robert Laffont)。「13の舞曲集」全曲の初演は1931年2月28日、エコール・ノルマル音楽院楽堂での独立音楽協会(S.M.I.)演奏会にて、リュセット・デカーヴによる。初版には献呈先を設定しなかったが、改訂版はアンナ・ウラーニ(Anna Urani)に献呈された。ウラーニは1933年《黄道十二宮》全曲の世界初演を担った、ミゴ作品における最重要ピアニストの一人である。