出版:Paris, J. Maho, 1868
このタイトルは直ちにシューマンの同名の作品(『子どもの情景』作品15)を連想させる。ヘラーとシューマンは一度も会ったことはないが、文通による強い絆で結ばれていた。二人の文通は、ヘラーがアウグスブルクにいた1835 年に遡り、パリ移住後の39 年までは盛んにやり取りが続いた。ヘラーの作品に自身と同じ気質を嗅ぎとっていたシューマンは36 年の手紙でヘラーの初期作品について「まるで自分の作品を演奏しているようです。尤も、貴方の作品の方が銀の輝きを放っていますね」と述べている。シューマンはやがてヘラーを『音楽新報』(シューマンが主幹を務めていた音楽雑誌)の執筆陣に迎えた。この雑誌には、架空の芸術家集団「ダヴィッド同盟」の名の下に音楽家たちが独自のペンネームで登場したが、ヘラーは「ジャンキリJeanquirit」(恐らくはフランスの作家ヴォルテールの詩に由来)を名乗って寄稿した。シューマンの没後、ヘラーは時折シューマンの様式を意図的に自作品に取り込むようになる。まだシューマンが殆ど知られていなかったフランスにおいて、ヘラーは亡き盟友の想い出を自作品に留めることで、パリの人々の目をシューマンに向けさせようとしたのだろう。
10 曲からなる『子どもの情景』作品124 は、ヘラーの名声が不動のものとなった60 年代後半の作。シューマンへのオマージュであると同時に、シャブリエ、ドビュッシー世代へとつながるフランス近代の性格小品の洗練を予告する内容をもつ。シューマンとは異なり、各曲にタイトルは与えられなかった。
第1 番 アンダンティーノ・コン・モルト・エスプレッシオーネ イ長調
曲集の冒頭を飾る歌曲風の小品。一見単純ながら、随所にテンポ(ritardando, ritenuto)、強弱(mf,f,diminuendo, rinforzando)、はっきりとした発音を促すアクセント(5 ~6 小節等)など、繊細な表示が入念に記されている。それらの意味を注意深く考えながら演奏を構築することが望ましい。
第3 番 アレグロ・アッサイ ニ短調
行進曲風の小品。形式は次のように図式化される。A(1 ~18小節)- B(19 ~56 小節)- A’ (57 ~78 小節)- B’(79 ~108 小節)。A は行進曲のリズムにより、フレーズの終わりにはファンファーレが響く。B はA のモチーフの変形で、長七の和音が近代的で明るい色彩を添える。後半は冒頭の主題にバス声部の伴奏が加わり(57 ~64 小節等)、新しい着想(65 ~70 小節)が挿入される。B’ではA のモチーフがB のモチーフと交互に現れる(79 ~86 小節)。小品にあっても限られたモチーフで全体をまとめあげる楽曲構成技法は、ヘラーの円熟した技量の証である。
第6 番 アンダンテ・クァージ・アレグロ ト短調-ト長調
複雑な心情の移ろいを喚起するニュアンスに富んだ小品。A(1~14 小節)- B(15 ~31 小節)- A’(31 ~42 小節)の三部形式をとる。A には既にB を構成するモチーフが提示されている。5 小節目の上行モチーフは15 小節に下行形で、22 小節には変化形が右手に現れる。コーダを兼ねたA’では冒頭のシンコペーションのモチーフ(右手)とレガートのモチーフ(左手)が再び現れ、ト長調の安堵感の中で終結する。