西村 朗 :ヴィシュヌの化身
Nishimura, Akira:AVATARA FOR PIANO
成立背景 : 仲辻 真帆 (433文字)
《ヴィシュヌの化身》は、ミュージック・フロム・ジャパンの委嘱によって、西村朗が作曲したピアノ独奏曲である。 ミュージック・フロム・ジャパン(MFJ)は、日本の音楽をアメリカおよび世界へ広めるため、1975年、三浦尚之によって設立された。雅楽、邦楽、アイヌ・沖縄の音楽、現代作曲家による委嘱曲といった様々な日本の音楽作品を、ニューヨーク、ワシントンDC、中南米、中央アジアなどで紹介してきた。 《ヴィシュヌの化身》は、2002年にニューヨークで初演されたが、2015年3月に東京文化会館で開催された「ミュージック・フロム・ジャパン40周年記念音楽祭」でも第4曲目の〈Nrsimha(ヌルシンハ=人獅子)〉が演奏された。 この作品は、ピアニストの高橋アキへ捧げられており、初演および上記音楽祭での演奏も高橋によって行われた。 《ヴィシュヌの化身》の楽譜は、2002年に全音楽譜出版社から、またCD(ピアノ:高橋アキ)がCamerataからそれぞれ発売されている。
総説 : 仲辻 真帆 (1671文字)
虚無のなかで、あるいは宇宙のなかで、ただ一人自分がいる。その場所を光と音で満たそうとする作品こそが、《ヴィシュヌの化身》である。 《ヴィシュヌの化身》は6つの曲から成り、演奏所要時間は約80分にも及ぶ。 この作品は、次の3点において、作曲者の理念や独自性が投影されていると言えるだろう。 ①:神話、②:ヘテロフォニー、③:アジア性。 まず、①:神話についてである。「ヴィシュヌ」はヒンドゥー教の神であり、様々な「化身」=Avatāra(アヴァターラ)をもつところに特徴がある。《ヴィシュヌの化身》を構成する6曲は、それぞれ異なる「化身」の物語から着想を得て作られた。作曲者の西村朗がAvatāraという主題を選んだ背景には、古都奈良での体験がある。しばしば奈良を訪れるという西村は、次のように述べている。 「奈良の仏教世界にはヒンドゥー教世界に通ずる窓がある。私はその窓を通り、ヒンドゥー教的宇宙に向かって、精神の自由なる飛翔を行いたいと願った。Avatāraのストーリーはそうした飛翔空間を私に与えてくれた」(西村 2002:6) 西村は、ピアノ独奏曲《ヴィシュヌの化身》以前に、パイプ・オルガンのための《ヴィシュヌの瞑想》という作品も書いている。そもそも「ヴィシュヌ」は、世界の再生と維持を支える光明の神とされる。インド神話においては、「創造」、「破壊」、「再生」が繰り返されるが、この「破壊」も「再生」へ向かうものとして機能する。神話で「破壊」の一撃が「創造」や「再生」に続く大波動の発端となる様相は、一つの音ないし声部が壮大なうねりとなって展開していく音楽に通じ、ひいてはヘテロフォニーとも共鳴する部分がある。 ②:ヘテロフォニーについて。「ヘテロフォニー」の定義としては、同一旋律を複数の奏者が演奏する際に「音程やリズムに微妙なずれが生じる現象」であり、「東洋の民族音楽にその例が多くみられる」(『音楽中事典』 1989:355)。 西村はヘテロフォニーに対して様々な角度から探究を行い、《雅歌》や《鳥のヘテロフォニー》をはじめとする多くの作品を仕上げた。とりわけ、ピアノ曲では「単音のヘテロフォニー」の生起を意図して、トレモロを頻繁に使用している。《ヴィシュヌの化身》でもトレモロを駆使することで、単音であっても連打により引き起こされる結果がヘテロフォニーへと展開されてゆく。トレモロの他、ソステヌート・ペダルの使用や倍音への考慮により、音響上不思議な効果が得られる。《ヴィシュヌの化身》は、ピアノという楽器がもつ表現の可能性をおしひろげた作品であると言える。 なお、ヘテロフォニーは雅楽やガムランなどに顕著に現れており、以下に述べる「アジア性」とも関連が深い。 ③:「アジア性」、「アジア的なもの」は、既述の①、②に連結するものである。西村の作品には、《ケチャ》や雅楽《夢幻の光》など、「アジア的な」色合いを帯びた曲も多い。《ヴィシュヌの化身》の第5曲目〈Vāmana(ヴァーマナ=神々しい小人)〉では、ガムランを連想させる部分がある。「アジア性」なるものを明確に定義付けすることは困難であり、何をもって「アジア的」とするかは議論の余地があるだろう。しかし少なくとも、《ヴィシュヌの化身》に関して、ヒンドゥー教、仏教、雅楽、ガムランなど諸要素の混融した作品であることは指摘することができる。 これまで3つの観点より《ヴィシュヌの化身》について述べてきた。この作品では、プリペアード・ピアノや内部奏法はあえて用いられていない。ピアノ本来の音色でもってその表現を追求することに主眼が置かれている。 全6曲から成る《ヴィシュヌの化身》は、演奏所用時間も長く、作品内容も充実しており、容易に演奏できる曲とは言い難いかもしれない。しかし、例えば第1曲目〈Matsya(マツヤ=魚)〉の冒頭を一例にとっても、F音がppからmfに至る道程や、連続するトレモロが休止した際に生じる残響など、筆舌に尽くしがたい魅力がある。
1. マツヤ=魚
作曲年:2002
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2. クールマ=亀
3. ヴァラーハ=猪
4. ヌルシンハ=人獅子
5. ヴァ―マナ=神々しい小人
6. 聖者カルキン
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