「このピアノ組曲は1969年に中部日本放送から"美しい日本"という表題で芸術祭参加のため作曲を委嘱されたものである。いうまでもなくこれは川端康成氏がノーベル賞受賞の際に講演した"表題"である。しかしこの曲は別段同氏の文学的内容から着想されたわけではない。ただ日本の四季おりおりの自然の風景に美を見出すのはわれわれ日本人の共通の伝統的感情のようである。
この組曲は「前奏曲、わらべ歌、草刈唄、平曲のパラフラーズ、朗詠風な幻想、筝曲風の終曲」からなっている。これらの音楽の素材は季節であり、風景であり、そうしてわれわれの祖先がそれから霊感されて日本の楽器(声も含めて)のために作曲した歴史的背景から間接的に結びついているものである。
「草刈唄」は名古屋地方の民謡をもとにした自然への素朴なふれ合いを歌ったものである。「平曲のパラフラーズ」は平曲の中の一曲"横笛"に材題を求めたが、仏教的な運命の物語が京都の風景の中に展開する原曲をもとにピアノ曲への転写を試みたものである。「筝曲風の終曲」は四季のながめがうたいこまれている"茶音頭"の筝曲風な奏法をピアノへ移したものである。・・・」(松平頼則)
【茶音頭(ちゃおんど)】
世の中にすぐれて花は吉野山。
紅葉は竜田、茶は宇治の、都の巽、それよりも、
廓(さと)は都の未申(ひつじさる)。数寄(すき)とは誰が名に立てし。
濃茶の色の深緑。松の位にくらべては、
囲(かこい)といふも低けれど、情けあ同じ床飾り、
飾らぬ胸の裏表、帛紗(ふくさ)捌けぬ心から、
聞けば思惑違ひ棚、逢ふて、どうして香筥(こうばこ)の、
柄杓(ひしゃく)の竹は直ぐなれど、そちは茶杓のゆがみ文字、
憂さを晴らしのはづむかし、昔ばなしの爺婆(じじばば)と、
なるまで釜の中さめず、縁は鎖の末長く、
千代萬代(ちよよろずよ)もえ。
石塚潤一:《松平頼則「美しい日本」について》http://ooipiano.exblog.jp/15304150/