モーツァルトのオリジナルなピアノ協奏曲は第5番からであり、1767年、11歳のときに生み出された第1~4番のピアノ協奏曲は、他人のピアノ・ソナタの編曲である。原曲は主にパリで活躍していたドイツ系作曲家のものであり、旅行中の交流によって、モーツァルトに強い影響を与えた。父レオポルトは彼らの作品の楽譜を持ち帰り、息子に協奏曲の作曲を練習させたのだろう。自筆譜には、父親の筆跡も残っている。
当時のパリはヨーロッパにおける文化的中心地であった。1760年代、各地を訪れていたモーツァルト父子がパリに滞在したのは63年11月からの5ヵ月間と66年5月からの2ヶ月間である。2度のパリ訪問を含むこの西方旅行によって、少年モーツァルトはさまざまな音楽を吸収し、作曲の幅も広げることになった。4曲のピアノ協奏曲はその成果のひとつといえよう。
各楽章の原曲は以下のとおり。
第1楽章=H. F. ラウパッハ(1728-78)、作品1-1(第1楽章)
第2楽章=J. ショーベルト、作品17-2
第3楽章=H. F. ラウパッハ、作品1-1(第3楽章)
ヘルマン・フリードリヒ・ラウパッハ(1728-78)は北ドイツに生まれ、サンクト・ペテルブルクで活躍した音楽家。モーツァルトと出会ったのは、ちょうどロシアを出てパリに来ていた1766年と思われる。パリで活躍していたヨハン・ショーベルト(c1735-67)は、少年モーツァルトに大きな影響をもたらし、《クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ》K. 6~9作曲のきっかけを与えたと考えられている。ただ、父レオポルトは彼に好印象をもたなかったらしい。