ラフマニノフのピアノ独奏作品ではもっとも良く知られた曲の一つで、1892年に作曲された。この年、最高評価を得てモスクワ音楽院を卒業した19歳のラフマニノフは、出版社グートハイルと契約を結び、ピアノ曲の創作に取りかかった。秋に〈前奏曲:鐘〉を書き上げた後、他の4曲と合わせて《幻想的小品集》作品3としてまとめ上げ、刊行した。この曲集はショパン的な憂いに満ちており、第3番以外はすべて短調で書かれている。〈鐘〉は「前奏曲」と銘打たれているにも拘わらず第2番に置かれている。これは、ブラームスにおける「間奏曲(Intermezzo)」のように、前奏曲というジャンルがそれ自体で性格的小品として成立するようになっていたからである。ラフマニノフはピアニストとしての経歴の初期にこの作品を演奏して大きな反響を勝ち取ったが、当時ロシア以外では版権が保護されていなかったため、これを守るための努力を強いられた。
ショパンの《幻想即興曲》(嬰ハ短調)を思わせる低音の強打に続いて、主部では遠方で幾重にも鳴り響くカリヨン(釣り鐘)がpppで模倣される。中間部はいっそう内面的で、鐘のモチーフを用いながら即興曲風のパッセージが展開される。回帰した鐘は最大sffffで強奏されるが、次第に遠景へと退きpppの中に消える。