ヤン・アダム・ラインケン(1643-1722)はハンブルクの教会オルガニストで、バッハの時代にはオルガン芸術の巨匠として名を知られていた。1720年にバッハがハンブルクに求職した時、ラインケンは試験演奏に接し、伝統的な技法を自在に操るバッハの技量を絶賛したという逸話が伝えられている。
BWV954のフーガは、それより少し前、ヴァイマールで過去の音楽作品を研究していた時期に生まれた。原曲はラインケンの器楽アンサンブル曲集『音楽の園 Hortus musicus』(1687)、ハンブルク)第2番。元はヴァイオリン2パート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロの4パートを想定しており、ソナタと組舞曲を1セットとする30曲から成る。舞曲はアルマンド、クーラント、サラバンド、ジグの基本4曲、ソナタは緩い序奏部、フーガ、自由展開部に分かれる。バッハが用いたのはこのソナタのフーガ主題で、原曲ではヴァイオリンが受け持っていた。バッハは主題後半、同音反復の部分を回音に変更している(第3-4小節)。これは、ヴァイオリンの語法から鍵盤の語法への転換である。全体はこの主題素材から紡ぎだされる。
この曲に関する記事でしばしば「編曲」とされているのは正確でない。バッハは巨匠の主題から新たに独自のフーガを書いた。そこには、柔軟で明澄なバッハ独特のスタイルがすでに芽吹いている。最低声部は主題提示やバス音の保持だけでなく、細かな音型を連ねて対位法に参入する。即興風の単調な模続進行や掛留は出来るだけ排除されている。終結部分は唐突な中断や分散和音のフィギュレーションなどがなく、最低声部での主題提示の後をすっきりとまとめている。
ヴァイマール期のクラヴィーア・フーガには、初期様式からの脱却が明らかにみてとれる作品群があるが、この曲もそうした中のひとつである。