プロコフィエフが作曲家としてだけではなく、ピアニストとしても活躍していたことはよく知られているが、このピアノ協奏曲も第1番と同様、彼がペテルブルク音楽院のピアノ科に在籍していた1912年末~1913年に作曲され、作曲者自身の演奏で初演された。若きプロコフィエフのピアニストとしての意気込みと、作曲家としての才気を感じさせる作品であり、当時ロシア・バレエ団の興行主としてあらゆる芸術の逸材を発掘していたディアギレフ(1872-1929)は、ロンドンでこの作品の演奏を聴いてプロコフィエフにバレエ曲を依頼した。だが残念なことに、1913年当時の版はプロコフィエフの存命中に紛失してしまい、現在私達が耳にすることが出来るのは、プロコフィエフが自ら1923年に復元・改訂させた版である。
構成は、ピアノのソリスティックな技巧を楽しむことのできる第1楽章、めまぐるしい音の動きが特徴的な第2楽章、劇的な表現が際立つ第3楽章、静と動のコントラストが興味深い第4楽章の、全4楽章(演奏時間約33分)となっている。全体を通じてピアノパートが音楽をリードしており、ソリストとしての見せ場を多く持っている点からは、プロコフィエフの初期のピアノ作品が想起される。その一方で、オーケストラの各楽器の表情をよく活かすことで、劇的な音楽の展開を行っている点は、彼が後に生み出してゆく劇作品を彷彿とさせる
なおこのピアノ協奏曲は、初演時にその斬新さから騒ぎが起こったというエピソードでもよく知られている。だが、プロコフィエフの成熟してからの功績や、同時代にセンセーションを巻き起こした他の作曲家達を知る現代の我々から観れば、むしろこの作品はリストやシューマンといった19世紀の名作曲家達のピアノ協奏曲のスタイルを受け継いでいるような印象を受ける。総じて、ピアノ協奏曲第2番はプロコフィエフにとって、先人達の音楽を消化・吸収し、そこから独自の作曲法を生み出してゆく足掛かりであったと言えよう。