ブラームス初期の代表作である。初演は1859年1月ハノーファー、自身の独奏により行われている。
初期の作品が持つ熱情、情緒、またそれらを彩るロマンティシズムは、幼少時に学んだベートーヴェンのドイツ精神と、シューマンの憧憬にも似た様式の学習が体現させた結果であるが、青年期の彼のプライヴェートをその背景に求める向きもある―――〈新しい道〉と自分を導いたシューマンへの敬意、その妻クララに抱いた慕情、そしてシューマンの逝去と《第一ピアノ協奏曲》初演直前のアガーテ・フォン・ジーボルトとの婚約破棄といったふたつの喪失―――など。いずれにせよそうした彼のエモーショナルな創造的構想を作品に昇華させるにはブラームスは技術的精神的にまだ若かったといえる。
もうひとつの《ピアノ協奏曲》あるいは一連の交響曲で聴くことのできる驚異的な構築力はまだ見えない。しかしそれ故に剥き身にされた旋律とアンサンブルの美しさは彼のカタログの中でも傑出しており、代表作に数えられる所以である。
当初から協奏曲として書かれたものではなく、2台ピアノのソナタや交響曲としてもアイデアが練られた経緯があり、結果として自身としては初めての協奏曲として完成した。古典派までの協奏曲に顕著であった「独奏楽器とオーケストラ」という図式から若干離れて、器楽、室内楽、交響楽とそれぞれ独立した部分をもたせ、その上で共生させるなど、様々な試みが聴かれる。また、ティンパニやホルン、中低弦の扱いなどブラームスの楽器の嗜好性が早くもみてとれる。
尚、第二楽章ではラテン語による祈祷文が引用されており、シューマン夫妻(またはそのいずれか)に宛てられていると考えられている。