ロシアの作曲家。聖職者一族の出であったため、1879年から神学校に通う。合唱団で歌い、ヴァイオリンを習うなどして音楽に興味を抱き、84年にモスクワ音楽院初等科に入学するが、学費が払えず退学する。
その後モスクワ・フィルハーモニー協会の音楽学校に入学、奨学金を得て92年まで在籍し、ヴァイオリンやファゴットやティンパニの演奏、写譜などで生活費を稼いだ。しかし93年には健康を害し、クリミアで療養生活を送りながら作曲を続けた。
作品にはチャイコフスキーやボロディンの影響がみられ、交響曲第1番(1894~95年作曲、1900年出版)がよく知られている。