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ミハウォフスキ 1851-1938 Michałowski, Aleksander

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  • 解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (1275文字)

  • 更新日:2022年9月30日
  • アレクサンデル・ミハウォフスキ Aleksander Michałowski

    (1851年カミェニェツ・ポドルスキ[ポーランド]~1938年ワルシャワ[ポーランド])

     アレクサンデル・ミハウォフスキは、ポーランドのピアニスト、作曲家、教育者。ライプツィヒ音楽院でイグナーツ・モシェレス(ピアノ)やカール・ライネッケ(作曲)らに師事した。ライプツィヒでショパンの《ピアノ協奏曲 ホ短調》を演奏し、コンサートピアニストとしてデビューを果たした。

    1871年、ミハウォフスキはリヴィウに滞在した折、ショパンの弟子だったカロル・ミクリのもとへ出向き、ショパン作品の解釈に関する芸術的アドヴァイスを受けた。彼が教えを請うた最後の師匠のひとりにフランツ・リストがおり、ヴァイマールでレッスンを受けている。

    1874年、ミハウォフスキはワルシャワに居を定めると、作曲や教育活動に携わった。1888年、ペテルスブルクで演奏会活動を行っていたところ、アントン・ルビンシテインから同地の音楽院で教鞭をとることを提案された。彼はミハウォフスキの技術的卓越と豊富な知識に感銘を受け、学生や教師陣にショパン作品を正しく解釈するために必要な教えを伝授してほしいと願ったのだった(当時ミハウォフスキはすでにショパンの全作品をレパートリーにしていた)。

    アレクサンデル・ミハウォフスキは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのピアノの「ポーランド楽派」創始者と言われている。作曲した作品はピアノ曲を中心としており、作品番号付きの36曲のほか、マズルカや前奏曲、ガヴォットなど作品番号のない作品が数曲ある。クラーマーやクレメンティなどの演奏会用・教育用の作品の校訂出版、あるいはショパンの全エチュードの演奏を準備するための練習曲の編纂なども手掛けた。

    <主要作品(ピアノ曲)>

    《子守歌 変ニ長調》作品1

    《ショパンの即興曲変イ長調に基づく練習曲》作品2

    《アルバムの一葉 ニ長調》作品3

    《ガヴォット ト短調》作品4

    《マズルカ 嬰ヘ短調》作品5

    《マズルカ 嬰ハ短調》作品6

    《マズルカ ヘ短調》作品7

    《メヌエット 変ホ短調》作品8

    《前奏曲 変ロ短調》作品9

    《ロマンス ハ長調》作品10

    《悲しきワルツ》作品11

    《メロディー ホ長調》作品12

    《華麗なるワルツ 変イ長調》作品13

    《前奏曲 イ短調》作品14

    《メヌエット ト長調》作品15

    《マズルカ 変イ長調》作品16

    《マズルカ 嬰ハ短調》作品17

    《マズルカ ヘ長調》作品18

    《マズルカ ホ短調》作品19

    《ガヴォット 変ロ短調》作品20

    《即興曲 変ニ長調》作品21

    《ロマンス 変ニ長調》作品22

    《ワルツ イ長調》作品23

    《夢 イ長調》作品24

    《束の間の想い イ短調》作品25

    《カプリッチェット 変イ長調》作品26

    《子守歌 変イ長調》作品27

    《即興ワルツ ト長調》作品28

    《憂鬱なワルツ 変ロ短調》作品29

    《バラード》作品30

    《マズレク ロ短調》作品31

    《5つの前奏曲》作品33

    《ワルツ第4番》作品34

    《2つのバガテル》作品35

    《ポロネーズ 嬰ト短調》作品36

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    作品(3)

    ピアノ独奏曲 (2)

    バガテル (1)

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    種々の作品 (2)

    子守唄 Op.27 子守唄

    ステップレベル:応用7,発展1,発展2,発展3

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    演奏音源一覧(2)

    参考動画 (2)

    • ショパン : 林川崇さんのお勧め, ミハウォフスキ [再生]

      おすすめポイント

      ショパンの弟子チャルトルイツカ公爵夫人から薫陶を受けたアレクサンドル・ミハウォフスキが弾くショパンのスケルツォ1番。楽譜に指示された符点二分音符120のテンポで弾き切る弩級のテクニックは現代の若手でも適わないだろうし、音楽的にも圧倒的なパッションを湛えた凄演。しかも、録音時78歳で視力も衰えていたのがおよそ信じられない。(林川崇)