カルクブレンナー : 様式と完成の25の大練習曲 Op.143
Kalkbrenner, Frédéric : 25 grandes études de style et de perfectionnement Op.143
作品概要
出版年:1839年
初出版社:Paris: Meissonier,Milan: F. Lucca, Leipzig: Fr. Kistner
楽器編成:ピアノ独奏曲
ジャンル:練習曲
総演奏時間:1時間00分00秒
著作権:パブリック・ドメイン
解説 (1)
執筆者 : 上田 泰史
(6647 文字)
更新日:2010年1月1日
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執筆者 : 上田 泰史 (6647 文字)
背景
カルクブレンナーは、1816年から1847年までの間に、7冊の練習曲集(Op. 20, 108, 126, 143, 161, 169, 182)を出版している。作品108は12曲の練習曲がついたメソッドで、「手導器」guide-mainsと呼ばれる演奏補助器具と共に売り出された。続く練習曲集作品126は、このメソッドの予備練習として、また作品143は、その補遺としてもくろまれたものである。この《25の様式と向上の練習曲》作品143(Paris: Meissonier)が出版されたのは1839年6月のことである(パリの他、ライプツィヒとミラノでも出版された)。第1番~第13番までが第1巻、第14番~第25番までが第2巻という構成をとる。1830年代後半は多くのピアニスト兼作曲家たちが競い合うように難技巧を駆使した練習曲を出版した時期であり、カルクブレンナーもその潮流に乗り遅れることはなかった。その一方で、この時期、単に技巧的な難しさだけでなく、練習曲の様式の多様性を求める動きも顕著になる。ショパンの《12の練習曲》作品25(1837)には、例えばバレエ音楽風の飛び跳ねる動きを伴う第4曲や、歌唱様式の第7曲などが含まれる。カルクブレンナーのこの練習曲もまた、難技巧と同時に多種多様な性格の曲を含んでいる。
タイトルの意義
このタイトルにある「様式style」とは、当時の音楽的文脈においては作品のもつ性格、およびそれを、演奏を通してそれを表現することと理解されていた。一方、「向上」perfectionnementとは、「より完全な状態に向かうこと」を意味する。ここで言う「完全」とは、三度やオクターヴといった演奏技巧上の完全性である。したがって、この練習曲のタイトルの意義は、様々な性格の作品を、その性格に相応しい方法で演奏し、同時に技巧をより完全なものとするための練習曲ということである。1842年に作曲家・批評家のジョルジュ・カストネルは、『ル・メネストレル』紙でこの曲の批評記事を出したが、彼はこの練習曲の表現にかかわる側面と演奏技巧(フランス語では「メカニスム」と呼ばれる)の双方を学ぶことができる点にこの練習曲の特徴を見出して、次のように述べている。
教師となり、自己を完成させたい人は、メカニスムという点からと同様に、表現という点から24の大「練習曲」に助力を求めるのがいいだろう。和声の豊かさと純粋さ、新鮮で傑出した旋律、ゆったりとしてかつ識者らしい仕上がり、こうしたことはこの注目すべき出版物の一般的な特徴である。(Le Menestrel. Dimanche, 13 mars 1842, neuvieme annee, no.15 p.1-2)
これ以後、タイトルに「様式」という言葉を用いる練習曲が次々に出版されるようになった。たとえばフランスのピアニスト兼作曲家アンリ・ラヴィーナは1847年にカルクブレンナーのこの練習曲集と同名の練習曲集作品14を出版している。この両者はエチュードにおいて少なからず影響し合っているらしいということをここで指摘しておこう。カルクブレンナーのこの練習曲集に半年先立って1839年1月に出版されたラヴィーナの《演奏会用練習曲》作品1にも、カルクブレンナーが参照したと思われる類似の曲がいくつか含まれているのである。両者の関係については適宜個別の曲解説の中で言及する。
以下、各曲の様式と技巧上の特徴に着目しながら各曲を解説する。
各曲の解説
第1曲 ヘ長調 4/4 Leggiero e vivace
分散されたオクターヴの練習曲。全曲中でも、比較的小節数が少ない曲で、プレリュードのような役割を果たしている。カルクブレンナーは左右の手が均質な機能性を獲得することを早くから説いていたが、オクターヴの音型はここでも左右の手に適用されている。
第2曲 ヘ短調 12/16 Moderato
分散和音、手の跳躍の練習曲。和音とそれに続くユニゾンによる5音を主要モチーフは、中間部で遠隔調への巧みな転調を繰り返しながら劇的に展開される。再現部では冒頭モチーフが始めは左手の和音跳躍によって重厚さを増し、次に5音のユニゾン音が両手のオクターヴで奏でられクライマックスを形成する。短いながら、ひとつの着想に基づいて入念に構成された一曲である。
第3曲 変ロ短調 4/4 Presto
和音とオクターヴの急速な連打の練習曲。同年に出版されたラヴィーナの《演奏会用練習曲》作品1第2番と類似の手法で書かれている。中間部には三和音による半音階を演奏する小さな難所が設けられている。
第4曲 ロ長調 4/4 Moderato
跳躍する和音の練習曲。和音の跳躍を技巧上の主な課題としつつ、和音の間を縫うように甘美な旋律がたくみに織り込まれている。曲の中ほど(第17~19小節目)には異なる声部間で冒頭モチーフの模倣が見られるなど、短い曲ながら入念な展開が行われる。オーケストラの楽器を彷彿とさせる色彩豊かな一曲である。
第5曲 イ短調 6/8 Allegro furioso
急速に跳躍する分散和音とオクターヴの練習曲。ピアノの幅広い音域で和音を鳴らすことによって大音量を探求する重厚なスタイルで貫かれている。
第6曲 嬰ヘ長調 2/4 Moderato il canto molto espressivo e marcato
異なる声部を引き分ける歌唱様式の練習曲。書法と技巧上の目的という観点から見れば、この曲はショパンの《12の練習曲》作品10-3に相当する。歌唱声部である最上声部を際立たせ、内声部は背景となる。主題部の甘美な雰囲気とは対照的に、短調を基調とし次々に転調する中間部はほの暗い情熱的な気分に支配される。当時のオペラ・アリアに霊感を受けた情景的な一曲である。
第7曲 ハ短調 4/4 Allegro furioso
オクターヴを押さえながら分散和音を奏でる練習曲。行進曲風の8小節の序奏に続き、厳しさのある主題が登場する。同じ音型が続く中にも、内声に繋留音が強調されるなど豊かな創意工夫が聴き手の注意を引く(第26, 28小節など)。ハ長調の中間部は主題部とはまったく様式を異にしたバロックの室内協奏曲風の楽想によっている。もっぱら平易な音階で構成されるこの箇所には、克服すべき技巧上の課題が認められない。これは異なる様式を主題部と対置させることによって、一曲の中に様式上の多様性を確保しようという表現上の要請から挿入された楽段であろう。
第8曲 ハ長調 12/8 Allegrissimo
軽快な分散和音の練習曲。息の長い右手の分散和音を主要主題とし、16分音符による全音階や半音階の軽快なパッセージも随時両手に課される。再現部の直前にはこの世代の作曲家が度々用いた両手の三度によるパッセージがささやかな難所を形成している。ただし、分散和音はほとんど右手のみに適用されており、左手が分散和音を奏でるのは最後のページの数小節のみである。両手の均質性にこだわった30年代初期の練習曲に比べれば、いくらかの柔軟性が見られる。
第9曲 変ホ長調 3/4 Poco Allegro
和音と跳躍の練習曲。終始16分音符の和音の継起によって成り立っている。リズムに多様性を求めない分、和音の跳躍によって幅広い音域を使用し、また甘美な旋律を歌わせる。
第10曲 ホ短調 3/4 Allegro e molto staccato
装飾的な分散和音とスタッカート、同音連打、左手跳躍の練習曲。軽快な舞曲風の性格を持つ一曲。主題は反復される際に4-4という運指の急速な同音連打を要求する。第7番同様、主題部とは対照的な様式の中間部がおかれ、緩やかなホ長調のポリフォニーが現れる。
第11番 ハ長調 4/4 Moderato quasi Adagio
分散和音、三度、六度の練習曲。きわめて優美な歌唱様式による。わずか22小節ながら、装飾的なパッセージやグリッサンドなどさまざまな技法が盛り込まれている。
第12番 変イ長調 4/4 Molto Allegro
手の交差の練習曲。5連符の分散和音による伴奏を一貫して右手が担い、左手が右手を飛び越えながらバスと旋律線を演奏する。同種の技法はすでにショパンの友人J.-C.ケスラーの《練習曲集》作品20(1828)やラヴィーナのいっそう過激な《演奏会用練習曲》作品1(第11番)に見られる。彼らより年長のカルクブレンナーは若い世代に張り合いながらこの技巧に取り組んでいる。
第13曲 嬰ヘ短調 4/4 Moderato e Legato
分散されるオクターヴと親指で内声の旋律を際立たせて演奏するための練習曲。主部は一貫して旋律を形作る右手の分散オクターヴのフィギュレーションで構成され、左手は軽快な分散和音を刻む。主部の後半には同主調の変ヘ長調に転調する美しい瞬間がある(第21~22小節)。嬰ヘ長調の中間部は、同時代の色合いを持つ主部とは異なり、古典的な様式で書かれており、第7、10番同様、様式の対照性がここにも見出せる。一つの曲の中で即座に「演奏様式を変える」ことを要求しているのである。
第14曲 ロ短調 2/4 Molto Allegro
手の交差、跳躍、オクターヴ、分散和音、三度の練習曲。和音とオクターヴによるきびきびとした動きの主部に対し、同主調のロ長調で提示される中間部の様式は主部とは対照的である。中間部は甘美な旋律的とそれを飾る分散和音、三度の音型で構成されるが、そこには冒頭の動機が忘れられることなく織り込まれており、全体の統一が図られている。
第15曲 ハ長調 3/4 Brillante
三度、六度、オクターヴの練習曲。一貫したリズム動機に特徴づけられた軽快で優美な性格の一曲。カルクブレンナーの《メソッド》作品108に収録された練習曲では、技巧、様式の両面から第11番に相当するが、こちらの方が技巧の多様性に富んでいる。
第16曲 Preludio 嬰ハ短調 3/4 Moderato e espressivo
ポリフォニーの練習曲。この曲は《前奏曲》という特別なタイトルがつけられている。厳格ではないにせよ、対位法的な配慮が至る所に見られる。J. S. バッハの鍵盤作品に通じていたカルクブレンナーは、ここで過去の様式と同時代の様式とを調和させている。彼は、早くから各指の独立の訓練のためにポリフォニックな作品の演奏は学習者にとって不可欠と考えていた。それは、作曲の規範とされた対位法的作品を身体に刻み込ませることで、規範性を身体化し、保存するためであった。曲尾のヘミオラは極めて印象深い。
第17曲 ヘ短調 2/4 Tempestoso
和音連打と半音階の練習曲。繰り返される急速な半音階は、19世紀の音楽家たちの間では風や嵐を連想させる一つのトポスであった。この曲の表現はとりわけ当時のパリの音楽家で知るもののなかったであろうロッシーニの《ウィリアム・テル》(1829)序曲に登場する嵐の場面を思い出させる。中間部は同主調の変イ長調で勇ましくも優美なオクターヴの旋律が主題部と好対照をなす。
第18曲 イ長調 12/16 non troppo allegro il canto ben marcato
両手の対照的な分散和音の練習。このフィギュレーションは1837年にショパンが出版した《12の練習曲》作品25、第1番(通称「エオリアン・ハープ」)のそれに近く、風にたなびくような曲想も類似している。最上声部だけでなく、内声やバスにも巧みに旋律が隠されており、どの旋律を際立たせ、あるいは背景の残しておくのか、繊細な配慮が要求される。
第19番 変ホ長調 2/4 Molto Appassionato
急速な分散和音とオクターヴの練習曲。右手は32分音符の分散和音 + 8分音符のオクターヴという終止一貫したフィギュレーションで書かれているが、下属調による中間部以降は左手にも32分音符の分散和音が適用される。すぐれて同時代的できらびやかな一曲。
第20番 ト長調 3/4 Moderato
トリルの練習曲。4つの声部からなる管弦合奏曲風の小品で、主題部のトリルはフルートを、イ短調に始まる中間部のトリルはファゴットを連想させる。主題部の後半(第5~8小節)、中間部の後半(第13~15小節)、それ以降の主題再現部は最上声とテノールの音域に配置された「フルート」と「ファゴット」のデュオであり、もう一本の高音楽器と低音楽器が伴奏する。
第21番 ト短調 2/4 Risoluto e agitato
オクターヴによる旋律と伴奏声部を右手で引き分けるための練習曲。左手は専ら伴奏と副旋律を担う。ハ短調に始まる中間部の旋律は一見新しいようだが、実は主題のリズム・旋律形を僅かに変形させているだけで、同一の着想に基づいていており、楽曲の内的統一への配慮がみられる。音型の一貫性を多様にしているのは左手であり、例えば第21~22小節目に現れる内声の旋律、第43~46小節目に現れるホルンの音型が曲に奥行きを与えている。
第22番 嬰ト短調―変イ長調 2/4 Presto, molto agitato
同音連打、スタッカートの練習曲。主題冒頭の同音反復(嬰ニ音)はすべて5の指で処理するよう指示されている。スタッカートを強調するためにカルクブレンナーがしばしば支持する奏法の一つである。中間部には巧みな転調が幾つもみられる。はじめは嬰ハ短調を基調とするが、嬰ハ短調、嬰ト短調へと転調し、これが変イ短調に読み替えられ嬰ト短調の主題に回帰する。再現部も入念に作りこまれており、主調の異名同音調の並行調である変イ長調に転調し、両手で分散和音と同音連打の音型を演奏し、この調のまま曲は閉じられる。
第23番 ホ短調 3/4 Molto allegro
第15曲同様、三度に主眼の置かれた練習曲。但し、曲の性格は全くことなる。第15曲がスタッカートを基調とした軽快な曲想であったのに対し、この曲では基本的にレガートで三度・四度を演奏することが求められている。レガートの中にはスタッカートが時折挿入され、様々なアーティキュレーションの練習も兼ねる。
第24番 変ロ長調 4/4 Vivo e agitato
オクターヴ跳躍の練習曲。飛び跳ねる左手の音型によって、バレエ風の軽快な様式が特徴づけられている。反復記号で繰り返される中間部(第9~12小節)・再現部のうち、前者ではオクターヴ跳躍が左手によって担われる。コーダでは第20番のトリルの音型が一瞬現れる。
第25番 ハ短調―ハ長調 Toccata 4/4 Allegrissimo
レガートで敏捷な手の動きの練習。その他、分散和音、同音連打、オクターヴ跳躍など多くの技術上の課題を含む。トッカータと名付けられた練習曲は、カルクブレンナーの《メソッド》作品108第10番、同年生まれの音楽院の同僚であるヅィメルマンの《25の練習曲》(1831)における終曲第24番などにみられる。この時期のトッカータ・エチュードは、拍子、調性に一貫した傾向が認められるわけではないが、無窮動的な動きが共通している。この第25番は曲集において最も長く、華麗に書かれており、曲集を終えるために意図的に労作されたと考えられる。
全体は複縦線で区切られた4つのセクション(A-B-A’-C)からなり、ロンド風の体裁をとる。冒頭、三連音符系の急速なリズムと模倣による出だしがジーグの印象を強めている。この点から見れば、《メソッド》作品108の第6番に類似性を見出すことができる。出だしはフーガを装うが、以後厳格なフーガ書法は適用されていない。Aが反復記号により繰り返され変ホ長調で閉じられると、ロ短調のエピソードBに入る。BはA同様模倣によって始まり、第1番の練習曲に現れたオクターヴ跳躍の音型が両手に適用される。一時ハ長調に転じるが、直ちにハ短調の主和音に解決しA’が導入される。ハ長調のCは長大なコーダとみることもできる。ここでは当時のピアノ協奏曲で聴かれる、左手の軽快な伴奏を伴う右手の華麗な走句が展開され、曲尾に向けて華々しいクライマックスが形成される。
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