作品概要
解説 (1)
解説 : 西原 昌樹
(2096 文字)
更新日:2025年7月24日
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解説 : 西原 昌樹 (2096 文字)
《黄道十二宮》に続く中期の大作。イタリア北部サンレモで起筆したことから、当初《3つのイタリア風ノクターン》(Trois Nocturnes italiens)と題され、最終的に現行のタイトルへと改題された。この経緯から、着想段階でダンテが明瞭に作曲者の念頭にあったとは限らず、推敲の過程でイメージを固めていったとの仮説も成立しよう。3曲全てを、イタリア人ピアニストのアンナ・ウラーニ(Anna Urani)に献呈。ウラーニは《黄道十二宮》の最終曲〈山羊座〉(磨羯宮)の被献呈者でもあり、単独で十二宮全曲の世界初演を果たしたヴィルトゥオーゾにして大功労者。本作を捧げる相手に、これほどふさわしい人はいない。第1曲 悠然と(Avec ampleur 2/4)。第2曲 静かに、神秘的に、優しく(Calme, mystérieux, tendre 4/4)。第3曲 ゆったりとして遅くなく(Ample mais sans lenteur 3/4)。いずれも荘重に始まり、多声の輻輳する技巧を凝らし、時に演劇性をも伴いながら、人間の内面の彷徨と葛藤とを徹底して描き上げる。深遠な哲学性はリストのダンテソナタにも比肩し、ピアノ音楽史上でも特異な境地を拓くこととなった。初演は第1曲と第2曲が1937年6月17日、第3曲が1938年6月15日、いずれもサルコルトーにてイスカル・アリボ(Iskar Aribo)による。
識者の間で、本作の評価は完全に二分される。ギイ・サクル(作曲家・評論家)は、「ミゴ協会は本作にことのほか肩入れしているが」と前置きしたうえで、「どこから見ても非常に退屈」であると断じ、「気骨のないドビュッシー、静止したスクリャービン」と評するなど驚くほど手厳しい(Sacre, Guy. 1998. La musique de piano T.02. Paris: Robert Laffont)。一方、当のミゴ協会側の論客ブリュノ・パンシャール(哲学者)は、本作をミゴの作品中でも特異な「記念碑」(un mémorial)と捉えなければならないとし、ニーチェのツァラトゥストラにおける「永劫回帰」や、ダンテの神曲における地獄と煉獄の教導役たる、古代ローマの詩人ヴェルギリウスの言葉を引き合いに出しながら、本作の真髄についてきわめて多弁に衒学的な論考を開陳したうえ、《ダンテ交響曲》や《フランチェスカ・ダ・リミニ》との比較を念頭に「リストもチャイコフスキーも、まばゆい直感の渦中に、これほどの興奮を味わうことはなかった」と評し、今を生きる私たちにとってミゴが「ヴェルギリウスのような存在であり続ける」と結ぶ(Pinchard, Bruno. 2011. Commentaires pour "Georges Migot Oeuvres pour piano et pour choeurs." Paris: Integral Distribution)。
パンシャールはまた、ミゴの高弟マルク・オネゲルの伝えるところの、本作に関するミゴ自身のプライベートな覚え書の内容をも紹介する。詩人でもあったミゴ自身、標題の意図を「ダンテという言葉は、作品のパトスと増幅されたプロポーションの両方を示すために用いられているように思われる」と説明したうえ、韻文詩によって各曲を解題していく。第1曲は「限りなく青い海… 全てが青く、永遠にたゆとう波がうねる。まるで永遠そのもののように、ドラマとは無縁の…」と書き出され、「運命の受け入れ、運命への服従」と繰り返し謳われる第2曲を経て、第3曲の末尾を「全ては成し遂げられた… 犠牲は成就する… 三オクターブの音が必然的に最後の音を奏でる」と結んでいる。いうまでもなく、神曲において「三」の数字が持つ特別の意味と、最終音の「三オクターブ」とを重ね、「必然」としたものらしい。おそらくギイ・サクルは、ミゴとその熱烈な信奉者によるあまりにも高踏的な議論、音楽から遊離した修辞的な空論を忌避し、前記のごとき厳しい評価に及んだものと思う。確かにサクルにも一理ある。大方の現代人の率直な感覚を代弁しているとさえ言える。その一方で、パンシャールによる確信に満ちた言説の核心に、いつの時代にも人間誰もが直面せざるを得ない大きな哲学的命題が据えられていることもまた、まぎれもない事実である。フランス・ダンテ協会会長であるブリュノ・パンシャールは、ミゴの研究者であった父マックス・パンシャール(Max Pinchard)の影響のもと早くからミゴの音楽に親しんだ。晩年のミゴを直接知ってもいる。ダンテとミゴの双方に知悉した人の発言には量り知れない重みがある。結論を急ぐことなく、あくまでも冷静な分析と積極的な実演の蓄積によって、本作の再評価をすすめていきたい。