この作品は、トイレの守護神・烏枢沙摩(うすさま)明王からインスパイアされた、謂わば「音の仏像」である。元より大井氏の持つピアニズム - 色合いを想定して作曲したものだが、同時に彼の新たな表現性に挑む内容でもありたいと考えた。このところ19世紀の作曲家の発掘調査や実演に明け暮れている中で、5年振りの新作となったこの作品は、私にとっても大井氏にとっても、新機軸を拓く契機となる予感がする。
ところで人間の生活に不可欠のトイレを扱った音楽作品は極めて少ない。常識で考える「美」のイメージとは正反対であれが故に取り合わないのだろう。しかし、正面から取り組むと、これは相当重いテーマとなる。トイレは単なる排泄の場ではない。汚せば魔が入り、磨けば神光が射す。唾を吐くと目を患い、倒れると命が危ういとされるように、人間の命運を左右する、極めて深秘な霊域である。誰もが他者との関わりを謝絶して、自分と神の摂理と向き合う。
そしてこの場を司るのが烏枢沙摩(うすさま)明王である。不浄を払うと共に財運に大きく関わる神と伝えられる。新曲はこの神名をメインタイトルに据え、その威徳を讃えると同時に、その姿を音として写し取ったものである。その尊影は作曲中、常に私の傍らにあった。人には「気線」というものがあり、この明王と大井氏を結ぶ何らかのそれが、私を介して働いている可能性も考えられる。いづれにしても大井氏は、"烏枢沙摩"の使徒を務めることになる。願わくばその威神力を開顕されんことを。