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アルカン, シャルル=ヴァランタン : 大ソナタ 第1番 Op.33

Alkan, Charles-Valentin : 1re grande Sonate Op.33

作品概要

楽曲ID:4684
出版年:1847年
初出版社:Brandus
献呈先:Alkan Morhange
楽器編成:ピアノ独奏曲 
ジャンル:ソナタ
総演奏時間:40分00秒
著作権:パブリック・ドメイン

解説 (3)

総説 : 上田 泰史  (1478 文字)

更新日:2018年3月12日
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アルカンの《大ソナタ》作品33は、第二次大戦後、ピアノ音楽史における画期的なソナタとして注目されてきた。20世紀半ばに活躍したピアニスト、レイモンド・ルウェンサールRaymond Lewenthal(1923~1988)は、1964年に出版したアルカン作品集の序文でこの曲を「アルカンの発展とピアノ音楽史における宇宙的大事件」と評し、また、アルカンの研究と演奏の両面で業績を残したロナルド・スミスRonald Smith(1922~2004)は「その世紀[19世紀]のもっとも際立ったピアノ作品」と位置づけている。フランスの音楽学者ブリジット・フランソワ=サペBrigitte François-Sappeyは、このソナタに関する論考においてこのソナタを「ロマン主義的『大作』の範例の一つ」として紹介し、結論では「リュードの彫刻、ドラクロワのフレスコ画、ベルリオーズの交響曲に並ぶフランス・ロマン主義の記念碑」に値する作品と位置づけている。

 ・ジャンル史における意義  アルカンのソナタの重要性は、作品の序文、文学的含意豊かな標題、独自の調構造、楽章間を関連付ける動機の操作、野心的ピアノ書法等、様々な点から指摘されているが、これらは、とりわけピアノ・ソナタというジャンルの歴史において意味をもつ。大革命後のフランスにおいて、ソナタは次第に時代遅れのジャンルと見做されるようになっていた。1853年にフランスの音楽雑誌『ル・メネストレル』の批評家レオン・ガタイェスは、当時の一般的なピアノ・ソナタの評価を次のように記している。 ソナタはポプリに取って代わられ、ポプリはカプリースと幻想曲によって王座から引きずり下ろされ、今度はこれらが奇抜なタイトル[の諸作品]に道を譲る宿命にあったが、そうした諸作品の一覧は長くなるのでこの紙面では足りないだろう(1)。

18世紀後半の主要な創作ジャンルだったソナタは、1830年代までに俗謡やオペラの主題に基づくポプリや変奏曲、幻想曲、性格的小品に人気を奪われていた。その背景には、産業革命が促したピアノの機構上の「改良」とともに、ピアニスト兼作曲家の関心が新しい演奏技術を活用しうる名技的なジャンルへと向かったこと、市民社会におけるピアノの普及とともに、複数の楽章からなる大規模作品よりも、即興曲やノクターンといった家庭の子女向けの手ごろな小品の需要と出版が増大したことが挙げられる。

だが、1840年にショパンが《ピアノ・ソナタ 第2番》作品35をパリで出版したころから、作曲家たちの間でソナタは再びその重要性が認められるようになる。世紀中葉、1830年代から40年代に探究された新しいピアノ演奏技法が古典的形式と結びついて、ソナタは再び創作の場として地位を取り戻そうとしていたのである。

実際、アルカンがピアノ独奏用のソナタに挑んだのは《大ソナタ》作品33が初めてだった(初版のタイトルは《ピアノ独奏のためのソナタ 第1番(1ère Grande sonate pour piano seul)》である)。前途有望な33歳の若きアルカンにとって、ソナタはそれまで追究してきた比類ない演奏技巧と作曲における進取気性を統合し、ベートーヴェン以降のソナタの方向性を示しうる創作ジャンルであった。

*楽曲の分析的総説は「楽曲分析」の項目を参照のこと。

 (1)  Léon GATAYES, « Une sonate », Le Ménestrel., 20e année, n° 25, le 22 mai 1853, p. 3.

執筆者: 上田 泰史 

成立背景 : 上田 泰史  (4322 文字)

更新日:2018年3月12日
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作品の「成立」を作曲、出版のいずれの時点に認めるかは美学上の問題である。ここではこれらの議論は横に置き、まず作曲から出版に至る経緯について略述し、最後にアルカンの作曲における美学的背景として、初版に付された序文について解説する。 

1. 作曲と出版の経緯 

アルカンは1847年7月25日、音楽理論家・音楽史家・批評家のフランソワ=ジョゼフ・フェティスFrançois-Joseph Fétis(1784~1871)に宛てた手紙の中で、このソナタの作曲を示唆している。「もし神のお気に召されるなら、ごく最近作曲したものとして、また、一年ないし何年も前に遡るものとして、今後のためにとっておく合奏曲ではなく、このほど貴方が大変好意的に報告して下さった作品とは全く別の展開をもつピアノ用の諸作品を出版したいと思っています。それは例えば、1曲の長大なソナタ、ピアノのための大規模なスケルツォ1作と序曲1作、複数の練習曲――それには、かなりの大規模で労作された曲がいくつも含まれます――といった作品です」(2)。(太字強調は訳者による)

「長大なソナタ」が《大ソナタ》作品33であることはほぼ確実である。この手紙の記述は、この作品が1847年7月には完成していたことを示唆している(3)。当時アルカンは33歳で、体力・知力ともに旺盛な年代を迎えていた。コンサートの舞台からは引き下がり気味ではあったとはいえ、ピアニスト兼作曲家としての名声は高く、《全長短調による25の前奏曲》作品31(1847)は音楽雑誌『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカル』紙上でフェティスの好意的な批評を受けていたし(上に引用した手紙の中で言及されている「報告」は恐らくこの批評であろう)、編曲集《パリ音楽院の想い出 第1集》(1847)では音楽の古典に通じた識者としての一面も示していた。

しかし、このソナタは1848年の春に出版されたとき、殆ど注目を集めなかった。この年、パリでは2月に暴動が起こり(いわゆる「二月革命」)、ブルジョワを優遇してきたルイ・フィリップの七月王政が打倒され臨時共和政府が樹立されたばかりで、共和国憲法制定の道が模索されていた。音楽雑誌にはこの作品の出版が告知されただけで、批評は掲載されなかった。多くの音楽家がパリを離れた2月革命の後で、彼の新作が注目を集めるにはまだ時期が早すぎたのである。アルカン自身が出版後、この作品を公の場で演奏したという事実は確認されていない。この年の8月、旧師ヅィメルマンが音楽院教授の引退を表明したことで、アルカンの関心事が後継者争いに移っていたことも、その一因であろう。その後も、彼は期待していた教授のポストを得られなかったことから殆ど公衆の前で演奏せず、出版活動も1857年まで中断する。かくして、このソナタは長い間、陽の目を見なかった。知られている限り、部分的初演は1964年にルーウェンサールがニューヨークで行った第2楽章の上演、全曲の初演は1973年8月10日、ヨーク大学におけるロナルド・スミスによる演奏とされる。作品の献呈先は父アルカン・モランジュ(ca 1780~1855)。 

2. 序文:作曲における美学的背景 

このソナタには、アルカン自身による序文が付いている。ここで、彼がなぜソナタ作曲の伝統から逸脱して、各楽章に独自の標題を与えたのか、その根拠を説明している。この序文は、彼がこのソナタを通して、なぜ音楽表現と言語表現を両立させる必然性があったのかを演奏者に理解してもらうための釈明でもある。

 本文は3段落からなり、各段落では、話題の限定、各楽章に標題をつけた根拠の提示、自身の立場の権威付けが行われる。一読しただけでは意味が把握し難い序文なので、以下、段落ごとに解説する。

 第1段落:話題の限定

「音楽的表現の限界については多くのことが語られ、記述されてきた。あれこれの規則を採用したり、あれこれの体系が提起する壮大な諸問題のいずれをも解決したりしようとするのではなく、私はただ、なぜ4つの楽章にかかるタイトルを与え、時には、通例全く用いられない用語を用いたのかを述べる。」

アルカンは学問的・理論的体系に依拠して持論を述べるのではなく、専らこのソナタの各楽章に独特なタイトル(「20歳」、「30歳――ファウストの如く」・・・)をつけた理由に話題を絞っている。

第2段落(前半):各楽章に標題をつけた根拠

「ここでは、断じて模倣的音楽が問題となるのではない。ましてや、音楽外的な領域の中で、その音楽自体の根拠付けや、効果、価値についての口実を求めるような音楽が問題となるのではない。第1楽章はスケルツォである。第2楽章はアレグロ、第3楽章と第4楽章はアンダンテラルゴである。とはいえ、これらの各々は、私の精神においては、人生のある特定の時や、思考、想像力の個別的な有り様に対応している。どうして私がこのことを指示しない理由があるだろうか?」(太字箇所は、原文ではイタリック)

「模倣的音楽」とは、ベルリオーズの《幻想交響曲》に代表される、いわゆる標題音楽のことである。彼は、具体的な指示機能をもつ言語という「音楽外的」手段に訴えて、音楽の存在根拠を説明するという立場には否定的である。アルカンは、音楽と言葉の領域を厳格に区別し、音楽的表現を「音楽外的」事象や言語的表現に従属させることを望んでいない。しかし同時に、彼は言語表現を排除しようともしていない。では、彼にとって音楽表現と言語表現はどのように関係づけられるのか。

 序文では、《大ソナタ》の各楽章が「スケルツォ」、「アレグロ」、「アンダンテ」、「ラルゴ」といった、一般的な楽想用語に対応していることが示されている。次にアルカンは一般性に個別性を対比させている。彼によれば、それぞれの楽章は、彼が生きている中で抱いた個々の「時」、「思考」、「想像力」の様態と呼応している。第2段落の後半では、この一般性と個別性の関係が、作曲者と演奏者(解釈者)説明される。

 第2段落(後半)

「音楽的要素は[楽譜として]いつまでも残っていくものだから、表現はそこから何がしかを汲み取るしかない。演奏家とは、自身の個人的感情を捨てることなく、作曲者の着想そのものを自らに吹き込むものである。つまり、これこれの名称としかじか事柄は、物理的な意味で把握される限りでは相容れなくとも、知的領域では完全に結びつくということだ。ゆえに私は、これらの指示を用いれば、一瞥したときには野心的に見えるにせよ、その助けがない場合よりも、よりよく理解され、演奏されるはずだ、と考えたのである。」

「音楽的要素」(「スケルツォ」、「アレグロ」などの楽想やそれを表象する音符などの記号)は、ひとたび出版されると作曲家の手を離れて存続する。それゆえ、演奏者が表現しようとする作曲者の着想は、具体的に言葉で指示されない限り、楽譜のみから汲み取るしかない。ところで、演奏家の領分は作曲家の着想を汲み取って表現するということにある。この現象はどのようにして生じるのだろうか。演奏者が「作曲者の着想そのもの」を把握するためには、名称(指示する言葉)と事柄(指示される対象物)の関係が、作曲者と演奏者の間で共有されていなければならない。」ここで、「名称」とは、「20歳」、「30歳――ファウストの如く」等々の標題であり、「事柄」とは、第2段落前半で述べられた、「人生のある特定の時や、思考、想像力の個別的な有り様」に対応する音楽的要素、すなわち「スケルツォ」、「アレグロ」、「アンダンテ」、「ラルゴ」である。ところで、物理的視点から見た場合、「スケルツォ」や「アレグロ」といった抽象的で一般的な言葉で表される音楽的要素が、「20歳」、「30歳」、「ファウスト」といった具体的着想に対応する客観的理由はない。しかし、第2段落前半でみたように、作曲者の精神においては、標題と音楽的要素は完全に対応している。この対応関係を演奏者の精神の中にも確立するためには、個別的着想を言語で表明しておけばよい。そうすることで、演奏者は作曲者の着想に寄り添った解釈が可能になる、とアルカンはと考えたのである。

第3段落

ベートーヴェンの権威を喚起することをお許し願いたい。かの偉人が、その経歴も終わる頃、主要な自作品の入念な一覧表を作成したということは周知の事実である。そこで、彼はどのような構想、思い出、どのような種類の霊感に基づいてこれらの作品が着想されたのかを書き留めることとなったのである。」

最後の段落は、これに先立つ2段落で提示した立場を、ベートーヴェン自身による自作品に対する注釈行為から権威付けている。(ここで言及される「一覧表」として可能性があるのは、ベートーヴェンの生前に出版社から出された作品目録である。ベートーヴェン生前、アルタリア社とホフマイスター社から、ベートーヴェンの既刊作品一覧が発行されている。アルタリア社のカタログは、作品番号が欠けている作品についてベートーヴェンに質問もしているので、ベートーヴェンがそのカタログについて知っていたことは確かだが、それらにベートーヴェン自身が注釈を書き込んだという事実は確認されていない。)  

以上のように、アルカンは音楽的要素のもつ一般性と作曲者の着想の個別性を知的次元で統一するために、各作品に標題を付けている。標題のみならず、このソナタを通して、フランス語で記された言葉は楽譜の随所にちりばめられ、演奏者に個別的着想を示している。

 (2)Brigitte François-Sappey, « Grande Sonate op. 33 “Les quatres âges : Un destin musical” », Charles Valentin Alkan, Paris, Fayard, 1991, p. 96. (3)これまでの研究は、このソナタの成立年代を1847年と断定しているが、その根拠は明示されていない(François Luguenot, « Catalogue d’œuvres d’Alkan », ibid., p. 284 ; Brigitte François-Sappey et François Luguenot, Charles-Valentin Alkan, Paris, Bleu nuit éditeur, 2013.)。この手紙の引用から判断するなら、このソナタの成立年代は1847年頃と看做すことができる。

執筆者: 上田 泰史 

楽曲分析 : 上田 泰史  (12391 文字)

更新日:2018年3月12日
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目次 1. 全体の構成 2. 第1楽章:〈20歳〉 ニ長調―ロ長調、3/4 極めて速く 3. 第2楽章:〈30歳――ファウストの如く〉 嬰ニ短調―嬰ヘ長調、4/4 十分に速く 4. 第3楽章:〈40歳――幸せな家庭〉 ト長調、3/4 遅く 5. 第4楽章:〈50歳――縛られたプロメテウス〉 嬰ト短調、3/4 極端に遅く

1. 全体の構成

アルカンのソナタの独自性は、楽章構成、調設計に顕著である。伝統からの逸脱はまず、スケルツォ―ソナタ・アレグロ―歌唱的な緩徐楽章―更に遅いテンポのフィナーレ、という構成に認められる。伝統的に第2楽章か第3楽章に置かれるスケルツォは冒頭に置かれ、「非常に速く(Très vite)」演奏される。そしてソナタ形式の第2楽章(「十分に速く(Assez vite)」)がこれに続く。プレストに代表される急速なテンポのフィナーレは用いられず、「遅く(Lentement)」と表示された第3楽章の後には、それよりも更に遅い「極度に遅い(Extêmement lent)」楽章で締めくくられる。「20歳」から「50歳」にかけて、テンポは次第に遅くなり、小節数も漸次的に減少している(525小節、332小節、192小節、72小節。但し、演奏時間は長い順に第3、2、4、1楽章の順)。  各楽章の調設計は、特異ではあるが一貫したプランに基づいている。下の表は、各楽章の開始調と終結調を示している。   各楽章の開始調には規則性がある。奇数楽章(第1、3楽章)がそれぞれ長調、偶数楽章(第2、4楽章)が短調で書かれ、いずれの対においても、後続する楽章は先行する楽章のサブドミナント調である。この様な調設計は、各楽章の副題にも対応している。偶数楽章はいずれも文学的・神話的題材(第2楽章はゲーテの《ファウスト》、第4楽章はギリシア神話)に基づいている。また、前半2楽章(第1、2楽章)と後半2楽章(第3、4楽章)を対にして見た場合、各々はナポリ調の同主短調の関係にある。  一方、各楽章の終結調と開始調の関係には古典的連続性が認められる。ロ長調で終わる第1楽章は、属調の平行短調である嬰ニ短調で開始される第2楽章に接続され、嬰ヘ長調で終わる第2楽章はナポリ調にあたるト長調で開始される第3楽章で始まる。第3楽章を終えるト長調と第4楽章を開始する嬰ト短調は、先行楽章を終えるト長調のナポリ調の同主短調である。このように楽章間には調的連続性が認められるが、第一楽章の開始調と第4楽章の調は古くから「悪魔の音程」と呼ばれてきた増4度(三全音)関係にあり、ソナタの調的枠付けとしては、伝統から全く逸脱している。

2. 第1楽章:〈20歳〉 ニ長調―ロ長調、3/4 極めて速く

序文に示されていたように、第1楽章はスケルツォとして書かれている。形式的にはトリオをもつ複合3部形式の伝統的なスケルツォだが、主題を特徴付けるニ長調は、絶えず他の調へと逸脱する。  ヴェーバーの《コンチェルトシュトゥック》作品79のフィナーレに類似した冒頭の主題(右手)は、あたかも2拍子であるかのように聴こえるが、左手のアクセントは常に1拍目に置かれている。2度の主題提示が反復され(第1~32小節)、嬰ニ短調のセクションに入る(第33~82小節)。  嬰ニ短調のセクションでは右手の8分音符のアラベスクと中声部の4分音符が新たなモチーフを形成する。このモチーフは、均整のとれた8小節のフレーズで2度提示され、嬰ヘ長調の主和音が響く推移を経て再び冒頭の主題がニ長調で回帰する(第83小節)。主題は再び2度現れる。2度目はVI度の和音ではなく、ffで打ち鳴らされる変ロ長調のI度(=嬰ニ短調のV度)の和音で遮られ、再び初めと同様、嬰ヘ長調で締めくくられ、中間セクションと主題回帰のセクション全体が繰返される。  トリオを導く推移部(第115~167小節)では、「脈打つように(palpitant)」嬰ヘ音が単独で響き、ロ短調へと移行する。点々と打たれる嬰へ音の間には、直前まで右手に響いていた分散和音の断片が挿入されるが、やがて再び嬰へ音が単独で取り残される。絶えるようなロ短調の推移部は、続くロ長調のトリオの優美さを際立たせる。  トリオ(第167~302小節)は、「内気に(timidement)」と指示された素朴な歌唱風の旋律で始まる。ここでは、人物の性格の変化を示唆する楽想表示と調の推移が対応している。ロ長調の「内気な」旋律は8小節を歌ったのちロ短調に移り、「愛情に満ちた(amoureusement)」楽想へと変わり(第183小節)、嬰へ短調が導かれる。内声に半音階を伴いながら不安定な心理を喚起するように主題が繰返されたのち、主題は第223小節に至ってしかるべき調、つまりロ長調で「幸福を持って(avec bonheur)」、「力強く、生き生きと(f et vif)」歩み始める。8小節の主題は初めて後続するフレーズによって補完され、心理的充足が示される(第223~254小節)。続いて主題は内声に現れるが、次第に生気を失い断片化され、「音を非常によく保ち、死に行くように(très soutenu et mourant)」消え、ニ長調のスケルツォが回帰する。ロ長調からニ長調への唐突な回帰は、聴き手の意表をつく。  スケルツォの主題回帰は冒頭のスケルツォと同様、ニ長調による主題セクションに嬰ニ短調の中間セクション(第335~383小節)が続く。今回は反復なしで主題が回帰するが、ト長調とホ短調で2度主題が聞かれた後にはコーダではなく、トリオの主題がまずはffで(第421~428小節)、続いて「勇ましく(bravement)」後続フレーズを伴った完全な形で、幅広い音域の分散和音に乗って鳴り響く。  第461小節から「勇敢に(valeureusement)」始まるロ短調のコーダは、第487小節で「ff、ますます生き生きと(ff, et animé de plus en plus)」表示された短-長のリズムでクライマックスに達し、勢い付いたままロ長調に移って「勝ち誇って(victorieusement)」曲を閉じる。  この「勝ち誇って」という指示のすぐ後に、アルカンはわざわざdis-cis-dis-fis-e-dis-disという旋律を加えている。これまで度々指摘されているように、ここには後続楽章との内的統一を助けるモチーフが隠されている(Smith, 2000 ; Franois-Sappey 1991)。一つはcis-dis-fis-eというモチーフ(以下、モチーフX)で、これは第2楽章のフガートの主題と関連付けられる。もう一つはdis-fis-e-disというモチーフ(以下モチーフY)で、これは第2楽章の冒頭主題そのものである。

3. 第2楽章:〈30歳――ファウストの如く〉 嬰ニ短調―嬰ヘ長調、4/4 十分に速く

ソナタ形式。「ファウストの如く」との副題にある通り、ゲーテJohann Wolfgang von Goethe(1749~1832)が生涯をかけた長編戯曲『ファウスト』(1808 ; 1833)に着想を得ている。当時、フランスではこの作品は、詩人ネルヴァルGérard de Nerval(1808~1855)による翻訳(1828)を通して親しまれていた。アルカンがこの翻訳を参照した可能性はある。この楽章で、アルカンは主題を登場人物に見立て、物語的な展開を試みている(この事実は、この楽章が、しばしば『ファウスト』との関連で解釈されるリスト《ピアノ・ソナタ》ロ短調の先駆けと見做される一つの要因となっている)。  ・提示部  「悪魔的に(Sataniquement)」登場する主題モチーフA(第1~2小節、「ファウストの主題」として解釈されうる)は、前述のdis-fis-e-disの活用である。第2~4小節では、このモチーフが2ないし3オクターヴ下で、16分音符による3連音符と主音の鋭い同音連打からなるモチーフBで応答される。第4小節のモチーフは冒頭のモチーフに基づき、三度の下行と上行から成る。   冒頭のモチーフが音域を上げながら3度聞かれたのち、「悪魔」が登場するまでの推移部は、2つのセクション、第10~22小節と第23~37小節に分けられる。第10~22小節ではモチーフBの16分音符による3連符の走句に続いて、低音のトレモロ上でのモチーフA・Bが提示のときとは反対に、Aが低音域で、Bが高音域で現れる。第23~37小節では、ハ長調でモチーフAがffで高らかに奏でられ、再び3連符の走句が続くが、第28小節から激情的な9連符のアルペッジョが差し挟みながら高揚する。この第28~31小節でゼクエンツを形成するバスの音程は、モチーフAの反行形と見做すことができる。この推移セクションに続く重音、和音のトレモロを経て変ト音のファンファーレが響く(第36~37小節)。  変ト音は嬰ヘ音に読み替えられ、ロ長調の「悪魔(Le Diable)」の主題が堂々と姿を現す。  この主題は、冒頭主題の反行形を成している。ここでは便宜上、この主題を第2主題ではなく、第1主題の変形と位置づけておく。行進曲風の律動的な「悪魔」の旋律は、明確に主題的性格を持つものの、フレーズの完全終止ははぐらかされ、嬰ニ長調へと逸れる。嬰ニ長調の主和音(第56小節)を介して、次に嬰ト短調の叙情的主題が導かれる。  「純真に(avec candeur)」という指示とともに登場するこの第2主題(第57小節、嬰ト短調)は、『ファウスト』の登場人物に重ねるならグレートヒェンと解釈されうる性格を持つ。この主題は、4つ連打される四分音符によって特徴付けられるが、これは第3小節のモチーフBと共通の要素である。第2主題はロ長調で繰り返され、再び嬰ト短調の属和音と向かい、「情熱的に(passionné)」と性格付けられた3連符に基づくシンフォニックな挿入楽節(第81~89小節)によって遮られる。再び低音のトレモロの上にモチーフAが姿を現して経過句を形成し、「絶えずいっそう活気を帯びながら(en s’animant toujours davantage)」と指示されたパッセージ(第97~100小節)に導かれて「純真」な姿で登場した第2主題は「情熱的に(passionnément)」と指示された交響的響きに姿を変え、同主調の嬰ト長調で再提示され、第115~116小節で完全終止する。提示部を締めくくるコデッタにはpで演奏される「よく歌って(bien chanté)」という装飾的な旋律が用いられる。提示部は、反復されずに展開部へと接続される。 ・展開部  第131小節から始まる展開部の冒頭には、ハ長調のモチーフAがくる。このモチーフは、嬰ヘ長調(これは第2楽章を終える主要な調でもある)で提示された「悪魔」の主題とトリトヌス(3全音/増4度)の関係にあり、展開部が全体の調的枠組みの中で特異な始まり方をしていることが分かる。モチーフAが2度聴かれたのち、Bの3連音符のモチーフが敷衍されて(第136~137小節)、それに続いて3連音による8分音符の和音連打によってヘ短調の交響的な音響が立ち上げられる。頻繁に転調しながら「無慈悲な(impitoyable)」と表示されたパッセージを経て、再び第2主題が展開される。この主題は、先立つ「無慈悲」さに対して「哀願するように(suppliant)」姿を現す(第158小節)。「哀願」はやがてホ短調で再び現れる時には「絶望(désespoir)」(第167小節)に変わり、第168小節のドッペル・ドミナントの属九和音では「胸を引き裂くような(déchirant)」心理が示唆される。第2主題の後には、提示部で第2主題部を締めくくったモチーフ(第106~107小節)が活用され(第172~180小節)、展開部から再現部への推移を導く。  展開部における第2主題の扱いに関して、これをグレートヒェンと重ねるなら、『ファウスト』第一部でグレートヒェンがファウストと婚前に交渉を持ち、生まれた子を水死させた罪の許しを請う「哀願」であり、「絶望」は処刑される彼女の絶望、あるいはその姿を目の当たりにしたファウストの絶望と解釈しうるだろう。 ・再現部  190小節から始まる再現部では、冒頭のモチーフAとBが現れるが、今度はユニゾンではなく、展開部のシンフォニックな三連符の和音連打、再現部直前のジグザグの音型(第189小節)を引き継ぎながら展開的に扱われる。3回目にAが聴かれた後、提示部と同様の3連符(記譜上は6連符)の走句が続き(第201~205小節)、第206小節から始まる推移部は提示部と同様モチーフA・Bに基づくが、提示部では嬰ニ短調だったのに対し、再現部では「力強く、ゆったりと(f, et largement)」という指示とともに嬰ニ長調で現れ、次第に力強さを増しながら嬰ヘ長調に向かい、第227~230小節の広音域に亘る4つのアルペッジョでカデンツァを形成するかに見せかける。しかし、このカデンァは主和音に解決せず、フガートを導く。この4つの巨大なアルペッジョの最上部の音は、順にeis-fis-dis-cisとなっており、eとeisの違いを考慮しなければ、モチーフXの逆行形になっている。   第231小節から始まるフガートの主唱cis-cis-dis-fis-eis-dis-cis-hには、モチーフX(cis-dis-fis-eis)とY(dis-fis-eis-dis)の両方が含まれている。この主題に関しては、トマス・アクィナスThomas Aquinas(ca 1225~1274)による聖体の祝日の聖歌《天から来た御言葉(Verbum supernum)》との一致が指摘されている(François-Sappey and Luguenot, 2013)。アルカンはユダヤ教徒だったが芸術的信条の上ではキリスト教的素材を用いることを受け入れていた(Ex.《悲愴的ジャンルの3曲》作品15の第3曲〈死せる女〉ではベルリオーズの幻想交響曲にも用いられた〈怒りの日(Dies irae)〉が用いられる)。また、『ファウスト』に於ける神と悪魔はキリスト教の存在であるから、物語上の文脈においてもキリスト教の聖歌からの引用されることは不自然ではない。4小節からなる主唱には、それが声部を変えて現れる度に声部数を増やし、6声まで(第251~254小節)は展開可能対位法で書かれ、オクターヴを重複して7および8声目が入ると同時に(第255小節)、8分音符による重音声部が右手に加わり、フガート最後の4小節は合計8声部(副次的な重音声部とオクターヴ重複を考慮すると11声)で進行する。  「常に弱く(toujours p)」で厳かに演奏されるポリフォニーを、ロナルド・スミスは「悪魔祓いの儀(exorcism)」と解釈し、フランソワ=サペはフガートの主題を、ファウスト、ひいては人類の祈りとして天に昇る「信仰の主題(un « thème de foi »)」と理解している。また、ルーウェンサールはフガート以後を「贖い(redemption)」成就のプロセスと理解している。フガートはこのように、『ファウスト』の文学的プロットと重ねられ、『ファウスト』第2部における神によるファウストの魂の救済として解釈されてきた。フガートの主題が聖歌《天から来た御言葉(Verbum supernum)》(御言葉とは三位一体論でイエス・キリストのこと)から取られたのだとすれば、神によるファウストの救済と、天なる神とそこから地上に訪れた救い主キリストを喚起するこの聖体尊崇の聖歌には、内容的な重なりがある。  フガートは、第258小節における「神(Le Seigneur)」の顕現とともに終わる。主唱と2つの対唱のモチーフが、それらを支える「神(Le Seigneur)」としての嬰ハ音(オクターヴの間に嬰へ音を伴う)のペダル上で、極めて強く(fff)、シンフォニックに響く。267小節で「可能な限り力強く(aussi fort que possible)」という表示が現れ、嬰ヘ長調の属和音が8小節に亘って打ち鳴らされる。  第275小節から第303小節にかけて第2主題部が「主調」の嬰ヘ長調再現されるが、この時は「幸福に(avec bonheur)」という表示を伴う。この再現は、提示部の第二主題部後半(第101小節~第130小節)に対応している。提示部において嬰ヘ長調で堂々と登場した「悪魔」の主題は、属音上のII度七の和音で始まる嬰ヘ短調で姿を現すが、もはや2小節しか続かず(第304~305小節)、「鈍い(sourd)」音響で経過的に姿を見せるに過ぎない。複縦線で仕切られた「悪魔」の主題に続いて、フガートの主題がトレモロの属音ペダル上で「力強く、信頼感とともに(f, et avec confiance)」響いたのち、「救済」を成就させるコーダに入る。 ・コーダ  コーダでは、まずバスでこの主題の最初の6音(fis-fis-gis-h-ais-gis)が大聖堂の鐘のように鳴り響く。その上では、第2主題のモチーフがmfで奏でられ(第310~315小節)、「最後まで、次第に音量を増して(en augmentant jusqu’à la fin)」という表示とともに音域を上げていく。やがてそのモチーフが縮小され(第316小節~第320小節)、冒頭のモチーフA(これは「悪魔」のリズム・モチーフでもあった)がffで3回繰り返される。低音のフーガ主題のモチーフが12回鳴り終わると(第327小節)、力強い主和音の連打が2小節続き、更に3度、全音符で主和音が鳴り、第2楽章が閉じられる。

4. 第3楽章:《40歳――幸せな家庭》 ト長調、3/4、遅く

第3楽章は、神話・伝説的題材を扱う第2、第4楽章を結ぶ間奏曲としての役割を果たしている。副題の「家庭」と訳される “ménage”という語は、ある家庭の成員全体を指す言葉でもあり、この楽章では夫婦と中間部に登場する「子どもたち(les enfans)[sic]」が登場人物である。作曲当時、30代前半だったアルカンは結婚しておらず、嫡出の子はいなかった。40歳以降に対応する後半2楽章は、作曲者自身が経験したことのない人生のヴィジョンである。  形式はA-B-A’-コーダと図式化される。  A:「優しく、平穏に(avec tendresse et quiétude)」と指示のある左手の三連符による分散和音と右手の単旋律によるシューマン風の素朴な歌で始まる。第3~4小節の旋律c-h-c-e-d-cは、第1楽章末尾でX、Yを含むdis-cis-dis-fis-e-disの音型から派生したものと見ることができる。第8小節で最初のフレーズを終えると、分散和音は和音の連打に変わり、7小節の推移句を作る(第8~14小節)。第2楽章の余韻を含む3連符の伴奏に乗って奏でられるこの箇所では、右手の最上声と左手の最上声に置かれた旋律がオクターヴのカノンを形成し、夫婦の会話をほのめかす。第15小節で再び冒頭主題が回帰するが、第20小節で方向を変え、新たな推移楽節が来る。第23小節からト長調のカデンツへと向かうが、第28小節で変ホ長調に転じ、ノクターン風の楽想(第28~35小節)を導く。このセクションはハ長調に転じ、そのまま「オクターヴのカノン」の楽想が回帰するが(第35~43小節)、ここでは夫婦の対話は部分的な摸倣に留まる。イ短調でナポリのII度を強調しながらこの推移楽節は完全終止で締めくくられるが、属七の第5音が下方変位するため終止感は弱められる。Aは新しいモチーフによるイ長調による12小節の楽節で締めくくられる(第44~55小節)。  B:中間部は冒頭に「子どもたち(Les enfans [sic])」という表示が置かれ、温かい家庭で戯れる子どもたちに視点が移される。中間部を締めくくる2小節(第103~104小節)以外は一貫して16分音符の3声で書かれており、複数の子どもの存在は音楽的にも示唆されている。  「非常に甘美に、非常にレガートで(très doux et très lié)」、「拍を守って(en mesure)」という指示とともに、ニ長調の楽想が開始される。初めの8小節(第56~63小節)は4小節+4小節の8小節で一つの楽節を作るが、いずれの4小節も、イ長調に転じる。複縦線(第65小節)で推移的な楽節に入り、「子どもたち」の主題がヘ長調、ロ長調へと次々に転調し、ゼクエンツを形成しながら(第71~72小節)ロ短調の属和音に至ったところで、下行半音階で再びニ長調の「子どもたち」が回帰する。変化の加えられた8小節で一つのフレーズを作ったのち第85小節で再び同じ主題が戻るが、第87小節で一度フェルマータの32分休符で区切られ、中間部の結尾が準備される。中間部の最後はささやくような重音の分散和音で閉じられる。  A’:第105小節から冒頭主題が回帰する。1回目は冒頭とほぼ同様にオクターヴのカノンを交えながら現れるが、2回目の提示は右手の旋律がオクターヴで補強され、内声で先行する小節のモチーフが摸倣される(第120、122小節)。122小節はリズム摸倣のみだが、ここでも「夫婦の対話」が示唆されている。旋律・和声に変化を加えながら再びAと同様の推移楽節が来るが、今度は「弱く、(両手の)上声2声部よく歌って(p, bien chanté aux deux parties supérieures)」と指示された新たなノクターン風の楽想が現れる(133小節)。この旋律の冒頭の5度下行するh-eの音型は、直前の推移楽節に何度も現れる同じ音程の下行音程を引き継いでいる。悲哀的なこのセクションでも、随所でソプラノとテノールにカノンが形成される。ホ短調で始まるこのセクションの主要モチーフ(e-g-fis-e、第133~134小節)は、モチーフYの縮小形と見做しうるもので、何度も現れる。ホ短調の旋律はロ長調を経て、第2楽章の提示部を締めくくった嬰ト長調を回想し(第144~146小節)、もう一度、ホ短調で現れる(第148小節)。しかし、この再現は3小節しか続かず、夫婦の対話はロ長調の静かな和音の連打で区切られ(第151~153小節)、第154小節で変ロ音の鐘が「(10時)[(Dix heures)]」を告げ、「次第に消えるように(en s’éteignant)」祈りのコラールを導く。 ・コーダ  「祈り(La prière)」と記されたコラール(第159~170小節)は、ト長調で始まり、ホ短調で結ばれる。この14小節のコラールは、次に「子どもたち」の伴奏となり、中間部が回想される。もう一度、コラールの最初の3小節が現れるが(第183~185小節)、すぐに中断され、第三楽章冒頭2小節が回想される(第189~190小節)。しかしこれも「おとなしく(gentiment)」という表示とともに現れる、「子どもたち」のリズム・モチーフの結句で結ばれる。

5.第4楽章:《50歳――縛られたプロメテウス》嬰ト短調、3/4 極端に遅く

平安な家族の情景は、再び文学的世界に取って代わられる。「縛られたプロメテウス(Prométhée echnaîné)」という副題は、第2楽章とともに英雄的主人公の存在を示唆している。プロメテウスはギリシア神話で天空神ウーラノスと地母神ガイアの間に生まれた12柱の巨人族ティタンの血を引く神で、神々から見ればオリンポス山の聖火(神の叡智)を盗み出した大罪人であるが、人間の目から見れば、それゆえに人間生活を豊かにした英雄である。ゆえに、プロメテウスは西洋においては反抗の美徳を象徴する。また、泥から人間を創ったことからヒューマニティの象徴でもある。 ゼウスの怒りに触れたプロメテウスは罰としてコーカサスの岩壁に鎖でつながれ(« echnaîné »は、単に「縛られた」という意味ではなく、「鎖に繋がれた」という意味)、日々ゼウスの遣わす鷲に肝臓を啄ばまれるが、夜のうちに肝臓は回復するという無限の苦しみを味わう。「縛られたプロメテウス」は、この情景を指し、古くから様々な芸術家がこれを題材に作品を制作している(図:ルーベンス作、「鎖に繋がれたプロメテウス」)。   第4楽章の冒頭には、エピグラフとしてアイスキュロスの詩「鎖に繋がれたプロメテウス」が断片的に7行引用される。詩行はフランス語に訳されている。以下はその日本語訳である。 いいや、お前は決して私の苦しみを耐え忍ぶことはできまい! 運命が私に死ぬことを許してくれさえすれば! 死が・・・私をこの苦痛から解放してくれるのに! もはや我が悪行に、期限が設けられることはないだろう ジュピター[ゼウス]がその権力を失わないうちは。[詩行750-754] 彼が何をしようと、私は生きるだろう・・・[詩行1051] 見るがいい、私が耐え忍ぶこの苦痛を受くべきなのかを![詩行1091(最終行)]  第4楽章の形式は序奏に異なる4部分(A、B、C、D)と各々の再現、そして最後にAの3度目の再現とコーダからなる(下図参照)。   B、D、B’、D’は推移的な役割を果たしており、主題と見做しうるのはA、C、A’、C’、A’’である。Aが循環的に現れるが、調は毎回異なっているため、ロンドというよりは、展開部のないソナタ形式と見るのが妥当だろう。  第3楽章はト長調の主和音で終わり、第4楽章は嬰ト短調のドッペル・ドミナントの属九根音省略形の第5音下方変位和音で始まる。これはイ短調の属七と同じ響きである。第3、4楽章の主調はナポリ調の同主調という関係にあるが、楽章間の接続は、響きとしては、ト長調のI度からイ短調の属七へと滑らかに行われている。だが、この滑らかさは、2拍目で嬰ト短調のドミナントが鳴る瞬間に否定され、聴き手を煙に巻く。第2小節は、今度は1拍目でト長調の属七に聴こえて、I度への解決を期待させるが、2拍目で嬰ト短調のドリアのIV度が鳴るので、聞き手は再び調の行方が分からなくなる。 「極端に遅く(extrêmement lent)」というテンポ表示で始まる冒頭2小節のトレモロは、プロメテウスを岩に縛る鎖の「がたがた鳴る音」(R. Smith)を思わせる。  「弱く、可能な限り音を十分に保って(p, et aussi soutenu que possible)」という指示のある第1主題は和弦的な書法による。主題冒頭のgis-h-ais-gisという音列は、モチーフYと共通しており、全楽章を通してモチーフによる統一が意識されている。第15小節でロ長調の2拍目裏で属七和音が響くが、Bを開始するffのg音によって解決への期待が裏切られる。Bはト短調、嬰ハ短調を経て、ハ長調/短調の属七が鳴るが、解決せずにロ長調の第2主題(C)に接続される。  第2主題は第3楽章の「祈り」を喚起するベートーヴェン風の瞑想的なコラールで、完全終止によって閉じられる(第28小節)。続くDはAの回帰を導く推移で、低音のトリルで再び序奏のトレモロが喚起される。3小節に亘って転調しながらホ長調の主和音に至るが(第31小節)、A’はト長調で開始される。  第1主題の再現(A’)は、第3楽章の主調であるト長調で開始される。提示部と丁度陰陽を逆にしたように、再現された主題は変ホ短調へと移り、属七で解決を期待させるが(第38小節)、再び期待は裏切られ、ffのh音によってB’が始まる。B’はBに比べて和声付けに変化が加えられており(Bでは同主長調のI-IV-Iだったのに対し、B’では単純にI-IV-Iになっている)、更に提示部に比べ3小節分拡大されている。第43~46小節にかけて、低音にオクターヴの6連符を伴うffの楽句が付け加えられ、プロメテウスの烈しい苦悶が想起させられる。  第2主題の再現(C’)は「ソナタ形式」らしく主調で開始されるが、嬰ト長調に解決する。D’で嬰ハ長調に移り、最後の主題再現が導かれる。嬰ヘ短調で始まる主題再現は再び主調の属七へと向かい、第65小節でようやく主和音に解決してコーダが始まる。コーダは連打され次第に上行する音階の中でBの付点モチーフが響き、pから「次第に強く、ffまで」という表示とともに最後のクライマックスを築く。第71小節で最高潮に達するが、最後の小節でppの主和音が3回鳴って力なくフィナーレが閉じられる。 〈参考資料〉 - François-Sappey, Brigitte « Grande sonate op.33 “Les quatre âges” : Un destin musical », Charles Valentin Alkan, Brigitte François-Sappey (dir.), Gérard Ganvert, Paris, Fayard, 1991, p. 95-128. - François-Sappey, Brigitte et Luguenot, François, Charles-Valentin Alkan, Paris, Bleu nuit, 2013. -LEWEHTHAL, Raymond, « Preface On Recreating a Style », The Piano Music of Alkan, New York, Schirmer, 1964. - SMITH, Ronald, Alkan the man the music, London, Kahn & Averill, 2000. - Léon GATAYES, « Une sonate », Le Ménestrel., 20e année, n° 25, le 22 mai 1853, p. 3.

執筆者: 上田 泰史 

楽章等 (4)

第1楽章 <20歳>

調:ニ長調-ロ長調  総演奏時間:5分40秒 

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第2楽章 <30歳――ファウストの如く>

調:嬰ニ短調-嬰ヘ短調  総演奏時間:13分00秒 

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第3楽章 <40歳――幸せな家庭> 

調:ト長調  総演奏時間:11分30秒 

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第4楽章 <50歳――縛られたプロメテウス>

調:嬰ト短調  総演奏時間:9分30秒 

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