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サン=サーンス : 動物の謝肉祭(2台ピアノ) 化石

Saint-Saëns, Camille : Le carnaval des animaux "Fossiles"

作品概要

楽曲ID:24075
楽器編成:ピアノ合奏曲 
ジャンル:種々の作品
総演奏時間:1分30秒
著作権:パブリック・ドメイン

解説 (2)

解説 : 中西 充弥 (201 文字)

更新日:2019年1月6日
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  「大きな鳥籠」までが起承転結の「承」であり、「耳の長い登場人物」の意味ありげなタイトルの謎を除いては、動物たちがカーニバルの(仮装)行列をするという視覚的な有様を音楽という聴覚的な効果に移し替えることでおかしみを表現してきた。ここから二曲は動物と呼ぶには抵抗のある変なものが登場する「転」である。やはり、この二曲は《動物の謝肉祭》にとって最も重要な曲であるから、別に章立てしてお話することにする。

執筆者: 中西 充弥

解説 : 中西 充弥 (2113 文字)

更新日:2019年1月6日
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ピアニストはまだ「生きている生物」であるからよいが、さらに混迷の度を深めるのが〈化石〉の謎である。化石と言っても、アンモナイト、三葉虫、始祖鳥…と色々あるが、ここで作曲家が想定しているのはティラノサウルスのような恐竜である。本人が自筆譜にイラストまで描いている。  

ということで、何の化石か、という問いはあっさり解決するのだが、この恐竜は一体何の象徴かという問題が出てくる。ここまで様々なブラック・ユーモアを見てきて、この〈化石〉において何もないわけがないのだが、作曲家本人の直接証言が無い以上、その答えとして断言できるものは見当たらない。以下は私の解釈を述べさせて頂く。まず、冒頭にサン=サーンス自身の《死の舞踏》のテーマが出てくるが、シロフォンで演奏され、骨をカチカチ言わせながら恐竜の化石が死者の踊りを踊っている様子が提示される。続いて、フランス人ならだれでも知っている民謡、《大事なタバコ》、《きらきら星》、《月の光》が引用されるのだが、この平和でメルヘンな世界は、これまでのブラック・ユーモアに比べると何か胡散臭く、嵐の前の静けさといった印象を受ける、その期待を見事に裏切らず、《死の舞踏》のテーマが再び演奏された後の第二部にとんでもないジョークが待ち受けるのである。それはクラリネットの旋律である。これは二つのメロディーが繋ぎ合わされて出来ているのであるが、前半部分は《シリアに旅立ちながら》という曲である。日本人はもちろん聴く機会はまずないし、現在のフランス人にも存在自体忘れ去られているような曲であるが、実はこれ、ナポレオン三世の母のオルタンス妃が口ずさんだメロディーをもとに作られた曲であり、第二帝政期には国歌の代わりとしてナポレオン三世の前で盛んに演奏されたものなのである。彼は、普仏戦争に敗れ、イギリスに亡命してそのまま彼の地で亡くなったのだが、つまり、今となっては力を失って骨しか残っていない恐竜(モンスター)とはナポレオン三世のことであった。そして、そんな彼が発するメッセージというのが後半部分となる。ロッシーニの歌劇《セビリアの理髪師》より、ロジーナのアリア「ウナ・ヴォーチェ・ポコ・ファ」である。ヒロインのロジーナが自分を家の外に出さない後見人の手から逃れ、自分の恋を成就させるのだと決意を表する場面である。すなわち、イギリスに亡命したままフランスに帰れなかったナポレオン三世が、墓の中で、フランスに戻って天下を取り返すぞと息巻く、負け犬の遠吠えの歌なのであり、そこでワッハッハ…という笑いが起こったと考えられる。サン=サーンスの周囲には第二帝政期間中、歌手ポーリーヌ・ヴィアルドのように亡命を余儀なくされ、不遇の時代を送った人がいたのである。そしてここで振り返ってみると、先に出てきたフランス民謡はナポレオン三世の望郷の歌だったのかもしれない。 ※「《動物の謝肉祭》の生前の出版、演奏禁止の理由」  

よって、ここまで説明すると、サン=サーンスが遺言の中で、《動物の謝肉祭》の出版、演奏を生前禁止した理由が納得できるのではなかろうか。それは、政治的な理由である。ナポレオン三世とその皇子は既に亡くなっていたとはいえ、ボナパルティストの残党の火はまだくすぶっていた時代であるから、万が一、世の中が変わって、〈化石〉の意味を知られてしまったら、不敬の罪で作曲家の公的な立場は非常に危なくなる恐れがあったのである。実際、《動物の謝肉祭》の初演が終わってからすぐにこの曲の評判は広まり、リストすら聴きたがった程である。よって、作曲者の知らないところで勝手に演奏会が企画され、大慌てで中止を求める書簡が残るなどしている。サン=サーンスのこの神経質な対応はこの曲がただの曲ではないことを裏付けている。  

しかし、これは少し深読みし過ぎた説と取られるかもしれないので、最後にもう少し当たり障りのない回答をしておこう。  

サン=サーンス自身、この曲について書簡の中で、「滑稽なもの」と表現しており、《動物の謝肉祭》はまさに冗談音楽であった。このような例は、モーツァルトの《音楽の冗談》K.522に既に例があるが、あくまで身内のネタであり、生前に公開してしまうと自らの名声に傷をつけてしまう恐れがあった。  

また、18世紀フランスにおいては、エリート文化と大衆文化の乖離が始まったが、その中で、野蛮な大衆文化とみなされたものの一つに、共同体の規律を犯した者の家に行ってどんちゃん騒ぎをする「シャリヴァリ」という儀礼があったが、これと同じく下品で無秩序なものとされたのが「カーニバル」であった。この曲はもともと学生たちのために着想されたものであり、若気の至りというか、若者のどんちゃん騒ぎの要素が残っている。よって、オペレッタのような大衆的な成功に関心を寄せなかった教養人(オネットム)として、サン=サーンスは大衆的な《動物の謝肉祭》を人前に出したくなかったと考えられる。サン=サーンス自身、この曲が「受ける」ことは重々承知していたので、それによって他の「真面目な」作品が取り上げられなくなることを恐れたのである。

執筆者: 中西 充弥