長らく真贋が議論され、位置づけの定まらない作品であったが、バッハの初期のコラール編曲を集めた写本「ノイマイスター・コラール集」に含まれていたことから、2つの点についていちおうの結論が導かれた。まず、これがバッハの真作である可能性がきわめて高い、ということ、そして、この作品は単なるフーガではなく、コラール旋律を主題に持っているということである。
旧バッハ全集にも収載されたが、旋律があまりに変形を加えられているため、この曲の主題の出所に誰も気づかなかった。バッハの『4声のコラール集』(1784-87, C. P. E. バッハおよびキルンベルガー編)に含まれるコラール《神よ、慈しみをもって我を遇しMach's mit mir, Gott, nach deiner Güt》(BWV377)の最上声部と比べてみると、ゆるやかに上行して下行するアーチ型旋律、という以外にはあまり共通する特徴がない。しかし、「ノイマイスター・コラール集」の稿では最後に、四声体のコラールがおかれており、この曲の出自を明らかにしている。(旧全集が参照した資料はこの四声体コラールを持たなかった。)
タイトルとしては〈フーガ〉とのみ伝承されているが、よくみると、フーガの書法としてはいささか奇妙であることに気づく。最初の主題提示では主調が2回連続する。各声部は本来、主題をもってその最初の登場を飾るのであるが、この曲の3つめの声部となるソプラノは、間句で主題動機の断片を担うのが初仕事である。また、最後にバスで再現される主題は下属調である。この最終提示には対旋律と呼べるものがなく、右手は単純な三和音を打ち鳴らす。こうした書法はしかし、コラール編曲であるとすれば納得がいく。コラール編曲では、フーガの厳格な実践よりもコラール旋律の提示を優先させることが許されるからである。
この作品は所収資料の「ノイマイスター・コラール集」によって身元が判明したかに見えるが、じつは真作であると完全に保証されたわけではない。疑作との意見も根強く、未だに真贋問題には決着をみない。また、コラールを扱っている点からオルガンを想定したものと考えられるが、演奏はどのような楽器でもできるように書かれている。従って依然として曖昧な点が多い。しかし、鍵盤の幅いっぱいにころころと主題が上り下りし、音域の変化によって響きが刻一刻と色を変え、上行下行の切り替わりによって緊張感が生まれる。こうした効果は、オルガン、チェンバロ、また現代のピアノ、どんな楽器でもそれぞれ異なった音色で楽しむことができるだろう。