松平頼曉氏の傘寿を記念して作曲されたこの作品は、最近取り組んでいる作曲家の発話に基づく連作の一つである。この連作では、インタビューなどでの作曲家の話し声の録音が、西洋伝統音楽の記譜法に従ってできるだけ忠実に採譜され、素材として用いられている。
人の話し声も音楽も、共に人間が生み出す何らかの組織化された音響である点では共通しているが、人の話し声を楽器で完璧に再現することは殆ど不可能である。人の発話も楽器も別の物理的・身体的制約に従っていることや、我々のなじんだ記譜法が人の話し声の記述には適していないことなどにより、自然な発話と器楽とは互換性が非常に乏しいのである。このことが逆に、楽器による音楽とは何なのか、どのようなものであるかを際立たせているようにも思われる。人の自然な発話を器楽に移植すれば、それはなかなか話し声には聞こえないし、普通の器楽曲からもどこかはずれたものになるだろう。
この連作では他の私の作品には殆ど見られない複雑なリズムが用いられる。現代作品では複雑で難解なリズムをしばしば目にするが、それらの多くは非常にシステマティックな手法によってリズムが生成されている(ようだ)。しかし、この連作に見られる複雑さはそうした「理論的な」方法によって生み出されたものではない。現実のある時点にある場所で発せられた人の自然な話し言葉をとらえて丁寧に記述することで、日常生活の中にあるごく些細な出来事の複雑さがあらわになる。私は、システムや方法の複雑さよりも、そうした現象自体が持つ微妙さや脆さに強く惹かれる。また、自然な発話を転写しながら作曲するのは、写真や映像を加工しながら美術作品を制作するのと似たところがあるかもしれない。
「松平頼曉のための傘」では、松平氏が彼の作品を特集したラジオ番組に出演した際の録音が素材として用いられている。これまでに書いたものはいずれもイタリアの作曲家の発話に基づくもの(「ヴィオラとピアノの通訳によるL.B.へのインタビュー」(2006)はルチアーノ・ベリオへのイタリア語の、「ブルーノのアウラ、あるいはチューバとピアノの通訳によるインタビュー」(2008)はブルーノ・マデルナへの英語のインタビュー)だったが、日本語による発話を素材とするのは初めてである。
この曲の前半で用いられているのは、おそらく1986年に放送された番組で、松平氏が一人で解説をつとめている。(おそらく)あらかじめ用意された台本に基づいて淡々と説明が行われ、発話のテンポは比較的安定しており、また日本語の特性により、等拍に近いリズムが続く傾向がある。後半は2006年に放送された番組に基づいており、ここでは西村朗氏との対談が行われている。前半とは異なり、かなりリラックスした雰囲気の中で、生き生きとした会話が行われている。こうした自由な会話の特徴として、時々言葉を探して沈黙したり、言い淀んだり、発話に緩急の変化が多く見られる。また、西村氏の発話は抑揚が大きく、より声域が低く、松平氏の話し方と対照的である(この曲の後半に現れる低音域の音型の多くは西村氏の発話である)。なお、この作品は特に録音された発話に忠実な部分が多く、そのためこれまで以上に線的な性質がかなり強く前面に出ている。