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佐藤 ひでこ Sato, Hideko

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  • プロフィール (1914文字)

  • 東京生まれ。
    3歳より母・佐藤麗子(永井進門下、昭和36年〜54年東京音楽大学講師)の手ほどきでピアノを始め、小2~小6桐朋学園大学音楽学部付属子供のための音楽教室、
    中2より東京音楽大学付属音楽教室入室・修了。東京音楽大学付属高校ピアノ演奏家コースを1年で中退。東京音楽大学ピアノ科卒業。
    飯守美絵子、山口喜久子、志村安英、井口愛子、関根有子、中島和彦、の各氏に師事。

    21才の時、ダン・タイ・ソンのショパンピアノ協奏曲1番及び2番を聴き、ピアノ芸術の美しさや素晴らしさに魅了され、後に弟子となり影響を受けた。
    またポーランドやカナダなどにてロシア巨匠ゲンリッヒ・ネイガウスやエミール・ギレリスの孫弟子となり、ロシアン奏法と独自の奏法を結びつけ、音楽とメカニカルが融合した奏法を身につけた。
    1988年よりポーランドやミンスク、トロントなどで研鑽を積み1995年帰国。帰国直後ピアニストの職業病フォーカル・ジストニアに罹患。
    東京・津田ホール他2ヶ所でのデビュリサイタルを工夫した奏法でこなしたが、同年更に悪化。中指が全く上に上がらなくなり演奏活動停止。
    その後、親指も内側に巻き込むようになりコップなども指を意識的に広げないと持てなくなる程となった。
    約21年間試行錯誤し続けた結果、独自の鍵盤リハビリで2016年初頭に完全完治。元々持っていた機能を100%取り戻すことができた。西洋医学の治療は一切行っていない。
    原因も完治方法も独自で明確に解明しており、完全完治するには本人自身がリハビリを行う以外はないことを医学的な観点から証明するために勉強中。
    2018年、23年ぶりに浜離宮朝日ホール他で復帰リサイタルを開催、評論家などから高評価を受けた。動物的な鋭い感性と自然な流れを持つ音楽芸術の神髄を追求する音色が極めて美しいピアニスト。

    1985年 白ロシア共和国首都ミンスク音楽院での日露交歓演奏会にて演奏。
    1988年〜1994年 ポーランド在住。ポーランド国立ショパン音楽院Postgraduate1年修了後、クラコフ音楽院Postgraduate2年全過程修了、イリーナ・スィヤウォーヴァなどに師事
    1990年 クラコフ音楽院大ホールにてリサイタル(オールショパンプログラム)
    1994年〜1995年 トロントにてナターリア・チョムキーナの内弟子。
    1994年 第4回カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクール・ロマン派部門ディプロマ。
    1994年 第10回ヴィオッティ・バルセジア国際コンクールのガラコンサートにて、オヴィディオ・バラン指揮 ルーマニア国立クライウォーヴァ交響楽団とショパン・ピアノ協奏曲第2番を共演。その他、ルーマニア国立バカウ交響楽団と共演。
    1995年 バルセジア音楽協会よりディプロマ受賞。バルセジア音楽アカデミーにて岩崎淑、ヴィンツェンツォ・バルザーニの各氏に師事。
    1995年帰国。東京・津田ホール、群馬・大泉町文化むら大ホール、新潟・新発田市民会館にてデビューリサイタル。
    1995年 霧島国際音楽祭などでレギナ・スメンジャンカ氏の通訳。
    2016年初頭 約21年の歳月を経てピアニストの職業病フォーカル・ジストニア完全完治。
    2018年 浜離宮朝日ホール、藤沢市民会館大ホール、赤坂ベヒシュタインサロン、すみだチェリーホールにて復帰リサイタル。
    2018年 村中大祐氏(指揮者)主催、海外進出を目指すピアニストの為のオーディション「AfiAピアニスト・オーディション2018」にて、イタリア・トスカーナ地方ピストイアでのセミナー付き演奏権利を受賞。村中氏より「リヒテルに勝るとも劣らない演奏」(プロコフィエフ・ピアノソナタ第6番第1楽章)と評される。

    1996年〜2013年 東京音大付属音楽教室ピアノ科助手。
    1995年〜2010年 (一社)全日本ピアノ指導者協会国際委員(2000年〜2010 年副委員長)、(公社)日本演奏連盟会員、(一社)全日本ピアノ指導者協会フェスティバル実行委員、日本・ロシア音楽家協会正会員、東京国際ピアノコンクール審査員、ピティナ・ピアノコンペティション審査員、全日本ジュニアクラシック音楽コンクール審査員。
    公式サイト:http://hidekosato.com/
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