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丹波 明 1932 Tamba, Akira

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  • 解説:平野 貴俊 (1237文字)

  • 更新日:2018年4月24日
  • 横浜に生まれパリに拠点をおく作曲家、音楽学者(1932~)。祖父は東京帝国大学教授を務めた薬学者、丹波敬三(1854~1927)。父は能の謡を趣味とし、母は畳に座ってヴァイオリンを弾くなど、音楽を嗜む家庭に育ち作曲に魅せられ る。1957年東京藝術大学卒業。

    留学先としてアメリカとフランスを候補に入れたが、師の池内友次郎から渡仏を勧められ、 フランス政府給費留学生として渡仏。パリ国立高等音楽院に入学、1962年、トニー・オーバ ンの作曲クラスで二等賞、翌年一等賞を受賞。 1964年、オリヴィエ・メシアンの分析クラス で第一次席、翌年二等賞を受賞。セリーの技法かミュジック・コンクレートのいずれかに習熟しなければならない、とメシアンに説かれた丹波は後者を選択し、メシアンの紹介状を携えてピエール・シェフェールのもとを訪れ、フランス国営放送(現ラジオ・フランス)の音楽研究グループ Groupe de Recherches Musicales(GRM) に入る(註1)。国営放送は、丹波の楽譜を刊行し、1979年には「丹波明の一日」と題する演奏会を開くなど、丹波が作曲家として地位を固めるのに大きく貢献した。

    また、音楽学者ジャック・シャイエとメシアンに勧められ、1967年からフランス国立科学研究センター Centre national de la recherche scientifique(CNRS)で日本音楽の研究を行う。成果はパリ大学に提出された論文「能の音楽構造」(1971)および「8世紀から19世紀末にか けての日本音楽の理論」(1986)にまとめられ、 前者により音楽学博士号、後者により国家博士号を取得。CNRSでは主任研究員 directeur de recherche を務め、パリ大学などで教えた。ラジオ・フランスの民族音楽レコードシリーズ『オコラ』の解説など、日本音楽についての数々の文章を発表している。

    創作においては、メシアンが古今東西の音楽遺産を横断しながら原理を引きだすことを重視したのに倣い、日本音楽における「序破急」の 原理などを積極的に援用している。種々の編成のために作曲し、2002年から「邦楽聖会」の 音楽監督を務めるなど、邦楽作品の創作にも力を注いでいる。2000年から8年かけて作曲さ れた、上演に約2時間半を要する大作、楽劇《白 峯》は2014年に日本で初演された。妻は東洋の言語を専門とする言語学者のイレーヌ・メッツ。

    (註1)1980年にフランス国立視聴覚研究所 Institut national de l’audiovisuel(INA)が刊行した音楽研究グループの作品カタログRépertoire acousmatique : 1948-1980 / INA-GRMによれば、1964年から1966年にかけて丹波は6つの作品を同グループで創作している。この他 にも共同で創作した作品が存在すると推測される。

    執筆者: 平野 貴俊
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    About composer : 平野 貴俊 (2734文字)

    更新日:2018年4月24日
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    作品(2)

    ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (1)

    協奏曲 (1)

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    ピアノ独奏曲 (1)

    ソナタ (1)

    ソナタ ソナタ

    作曲年:1959 

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