ルトスワフスキ 1913-1994 Lutosławski, Witold
解説:飯田 有抄 (1190文字)
更新日:2008年7月1日
解説:飯田 有抄 (1190文字)
ヴィトルト・ルトスワフスキは、二十世紀ポーランドを代表する作曲家で、1913年1月25日ワルシャワに生まれた。ワルシャワ音楽院でピアノと作曲でディプロマを取得している。
彼の作風は生涯を通じて変化する。第二次大戦前には新古典主義的、大戦後は民族主義的な傾向にあり、そして1960年代には偶然性を取り入れた前衛の旗手として見なされる。また'70年代以降は円熟した管弦楽の語法によって緊張感と優美さを兼ね備えた音楽を実現する。
しかしそうしたルトスワフスキの作風の変遷は、彼個人の柔軟性や好みに寄るところではない。むしろ二十世紀前半に生まれ、ポーランドという「小国」の芸術家に強いられた条件においてこそ刻まれた、一音楽家の軌跡と言えるだろう。
ショパンやシマノフスキといった作曲家を生んだポーランドであるが、二十世紀は過酷な政治的状況を突き付けられた国でもある。戦時下のナチスによる占領、そして戦後長く続いたソ連からの少なからぬ圧力は、その時代を生きた芸術家に決して有利な環境を与えなかった。1913年生れのルトスワフスキにとってもまた然り。30代前半の彼が書き上げた最初の交響曲(1947年完成)は、社会主義リアリズムの指針によって「形式主義」として非難を受け、50年代終わりまで上演禁止という憂き目に合う。しかし彼は政治的抑圧の動きに屈することなく、スターリンの死後に訪れる「雪解け」までのあいだも、密かに十二音技法などの作曲技法の探求を怠らない。58年、弦楽のための《葬送の音楽》においてそれは結実する。
やがて60年代には「不確定性」や「偶然性」という概念が、ジョン・ケージによってもたらされる。ある種の破壊力を持つそうした新しいファクターに対しても、ルトスワフスキは正面から理解を示し、「管理された偶然性」として自作品へと取り込む(64年の弦楽四重奏や67年の交響曲第2番など)。ルトスワフスキが近代音楽の遺産を受け継ぎつつ、二十世紀音楽の語法を体現して見せた巨匠として高く評価されるのは、この偶然性の要素を、高度な音楽技法=規律とリリシズムの中に、見事に溶け込ませた点にあるだろう。
円熟期となる80年代以降には、彼自身が「チェーン」と呼ぶ技法に取り組む。これは、楽曲内で対比的な音響効果を持つセクションが、その始まりと終わりで互いに重なり合い、かみ合うようにして進行し、楽曲全体を構成していく手法である。《チェーン》と題されたI、II、IIIの3作品はそれぞれ室内楽、ヴァイオリン協奏曲、管弦楽であるが、彼の唯一のピアノ協奏曲(1987-8)においても、終楽章のフィナーレにおいて「チェーン」技法が用いられている。
ルトスワフスキのピアノ作品は、決して数多くはない。しかし彼の音楽活動の出発点はピアニストであっただけに、それらは難曲ながら演奏の可能性を広げる、高いクオリティにある。
作品(8)
ピアノ独奏曲 (3)
曲集・小品集 (3)
ピアノ合奏曲 (2)