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諸井 誠 1930-2013 Moroi, Makoto

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  • 解説:仲辻 真帆 (1201文字)

  • 更新日:2018年4月24日
  • 1930(昭和5)年12月17日、諸井三郎の次男として東京で生まれた。父の反対を受けなが らも作曲を学び、1948年に東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)へ入学した。池内友次郎から和声法や対位法を、梶原完からピアノを、森正からフルートを学ぶ。在学中に、12音技法を用いた《ピアノのための古典組曲》(1949 年)や《室内音楽第3番》(1951年)などを作曲した。1953年、《オーケストラのためのコンポジション》によりエリザベート王妃国際音楽コンクールで日本人初となる入選を果たす。セリエリスムや多音列の手法を深く探求し、1954年に発表した《ピアノのためのαとβ》では国際現代音楽協会(ISCM)音楽祭で入選。また、1956年に黛敏郎と共同で完成させた《7のヴァリエーション》は、日本における本格的な電子音楽の嚆矢となった。

    1957年には、柴田南雄、入野義朗、黛敏郎、 吉田秀和らと「20世紀音楽研究所」をひらく。 不確定性の音楽などを研究するとともに音楽祭を開催し、当時の日本の作曲界に大きな影響を与えた。1963年に初演された《ヴァイオリンとオーケストラの協奏組曲》により尾高賞を受賞。

    諸井誠が日本の伝統音楽に向かうことになったのは、1964年からである。竹保流尺八宗家の酒井竹道(2代目竹保)らと交流したことから、《竹籟五章》(1964年)や《対話五題》(1965年) の作曲に至った。武満徹が自作品に琵琶を取り入れ始めた同時期に、諸井は尺八音楽の創作にあたっていたことになる。1973年には邦楽器とオーケストラを並列的に用いた《第1協奏交響曲「偶対」》を作曲。この作品はL. v. ベートー ヴェンの《交響曲第9番》の引用を含んでい るが、《J. S. バッハの名による幻想曲とフーガ》 (1977年)なども多様式音楽の系譜に位置づけられる。

    1994年に「彩の国さいたま芸術劇場初代館長となり、1995年には紫綬褒章を受章するが、 2013年9月2日、間質性肺炎によりこの世を去った。

    諸井誠の業績を再考したとき、教育や啓蒙も重要な音楽活動であったことが確認できる。大阪芸術大学、尚美学園短期大学で教授を務めた他、1985年、日本アルバン・ベルク協会を創設し、会長に就任。また、音楽評論の執筆も積極的に行い、マコトニオ・モンロイという筆名を用いて独特なユーモアもみせた。楽曲解説や音楽評論にかんする著書は複数あり、ピアノ曲については、『ピアノ名曲名盤100』(音楽之友社、1977年)や園田高弘との共著『ベートーヴェンのピアノ・ソナタ』(音楽之友社、1971年)、『ロマン派のピアノ曲』(音楽之友社、1984年)などがある。R. シューマンの《幻想曲》作品17や F. ショパンの《ピアノ・ソナタ第3番》を楽曲分析した論考などは、演奏法の検討も含めた実践的な音楽研究を提示している。

    執筆者: 仲辻 真帆
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    About composer : 仲辻 真帆 (3586文字)

    更新日:2018年4月24日
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    作品(9)

    ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (1)

    協奏曲 (1)

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    ピアノ独奏曲 (4)

    ソナチネ (2)

    ソナチネ ソナチネ

    作曲年:1966 

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    ★ 種々の作品 ★ (3)

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