
解説:太田 郁 (610文字)
更新日:2018年4月19日
解説:太田 郁 (610文字)
1895 年、東京に生まれる。曽祖父は津山藩の藩医で蘭学者の箕作阮甫、祖父は蘭学者の箕作秋坪、父は西洋史学者の箕作元八と、学者を多く輩出した家系である。
箕作秋吉は、東京帝国大学工学部応用化学科 を卒業。1921年にベルリンに留学し、化学研究のかたわら、ゲオルク・シューマンから和声法を学んだ。1925年に帰国すると、戦後まで海軍技術研究所に勤めた。そのかたわら、池内友次郎、ヨゼフ・ケーニヒ、ローゼンシュトックらに師事し作曲を学んだ。
1930 年、小松平五郎とともに発起人となり、 新興作曲家連盟の創設に尽力する。箕作は設立当時のメンバーの中では最年長であった。その 後も連盟を通して国際現代音楽祭に作品が提出されるなど、精力的に活動している。1934 年、《小交響曲》が第 3 回音楽コンクールに入賞するとアレクサンドル・チェレプニン(Alexandre Tcherepnin, 1899-1977) に認められ、1935 年 に『チェレプニン・コレクション』として出版された。1939 年理学博士となるが、戦後は音楽活動に専念した。
箕作は「日本的和声」に関する論争で楽壇に 大きな足跡を残した。1929 年に発表した「国民音楽に就て」を発端として、日本独自の和声である「日本的和声」の必要性を説いている。西洋の和声とは異なる形で五度圏を利用した日本的和声は、歌曲集《芭蕉紀行集》(1930~31年)などで体現された。
解説 : 須藤 英子
(249 文字)
更新日:2006年8月1日
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解説 : 須藤 英子 (249 文字)
東京生まれ。東京帝国大学(現東京大学)工学部卒業後、ドイツに留学。ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所で物理化学を研究する。一方で、中学の時より興味を持っていた音楽にも励み、ゲオルク・シューマンに和声法を学ぶ。帰国後、池内友次郎やケーニッヒらに作曲を師事。戦後は新興作曲家連盟(現日本現代音楽協会)の結成など、日本の作曲界の振興に尽力するとともに、東洋音楽大学教授として教育にも携わった。「日本的なるもの」への探究心から、「日本的和声」を提唱。その独自の和声観に根ざした情緒的な作品を多く残した。