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下総 皖一 1898-1962 Shimofusa, Kanichi

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  • 解説:仲辻 真帆 (654文字)

  • 更新日:2018年4月19日
  • 1898(明治 31)年 3 月 31 日、埼玉にて誕生した下總皖一は、作曲家・音楽教育者として日 本の楽壇で足跡をのこした。本名は下總覚三。

    埼玉師範学校を卒業した下總は、1917(大正 16)年に東京音楽学校甲種師範科へ入学する。 新潟、秋田、岩手、栃木など各地の師範学校で教員を務めた。1932(昭和 7)年からは文部省在外研究員としてドイツへ渡り、ベルリン芸術大学で学んだ。P. ヒンデミットに師事し、ドイ ツの和声法や対位法を修得。1934 年には帰国して東京音楽学校の助教授となり、8 年後には教授に就任した。太平洋戦争後も改組された東京藝術大学音楽学部作曲科で後進の指導にあた る。1962 年 7 月 8 日に 64 歳で逝去した。

    《花火》、《野菊》、《たなばたさま》といった唱歌の他、校歌も数多く手がけている。宮城道雄との合作による《壱越調箏協奏曲》(1937 年) の他、《三味線協奏曲》(1938 年)など日本の伝統楽器を用いた作品も発表した。下總は、唱歌 の作曲や和声づけを通して、音楽教育の領域に大きく貢献した。さらに、執筆活動も積極的に行い、『対位法』や『作曲法』など、音楽理論にかんする著書・訳書を多く出版している。中でも『和声学』は、基礎事項を明解に記した実践的な理論書で、多くの音楽家によって参照さ れてきた。また、下總が示した音階論は、音楽学者として著名な小泉文夫も注目していた。

    作曲とともに音楽の教育や研究においても、 後世にのこる基盤を形成した点で下總皖一は注目される。

    執筆者: 仲辻 真帆
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    About composer : 仲辻 真帆 (1949文字)

    更新日:2018年4月19日
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    作品(2)

    ピアノ独奏曲 (1)

    種々の作品 (1)