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クッフェラート, フーベルト-フェルディナント 1818-1896 Kufferath, Hubert-Ferdinand

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  • 解説:上田 泰史  (1050文字)

  • 更新日:2018年3月12日
  • ドイツ西部に位置するルール地方の街ミュルハイムのクッフェラート家は、18世紀から音楽と関わりの深い一族で、19世紀、数々の優れた音楽家を輩出している。1818年に誕生したフーベルト・クッフェラートは音楽愛好家の父と年の離れた兄の影響で、幼い頃から兄と同様に音楽を学んだ。フルート、ヴァイオリン、ピアノを並行して学び、いずれも一定の水準に達した。21年も歳の離れた兄ヨハン・ヘルマン(1797~1864)は優れたヴァイオリニスト、作曲家、指揮者でオランダのユレヒトの指導的な音楽家だったが、弟クッフェラートは兄の意向もあって10代半ばで兄の下でヴァイオリンを続ける。数年間兄の指導を受けた後、ケルンに赴いて同地の名手フランツ・ハルトマンに師事した。  1839年、ドイツのデュッセルドルフの音楽祭に参加した青年クッフェラートは、既にヴァイオリンの名手となっていた。彼の演奏を聴いたメンデルスゾーンは、彼をライプツィヒに招いて、彼の作曲指導を引き受けることにした。ライプツィヒでは優れた理論家、作曲家のモーリツ・ハウプトマン(1792~1868)にも学ぶ機会を得ている。また、このころから、ピアノも本格的に学ぶようになるが、ヴァイオリンを止めることはなく、後にライプツィヒ音楽院のヴァイオリン教授となるフェエルディナント・ダヴィッド(1810~1873)の指導を仰ぐこととなる。  2年間、メンデルスゾーンの下で厳格な作曲法を学んだのち、クッフェラートは41年にケルンに戻って地元の合唱協会の指揮をとり、同地の音楽文化活動の活性化に寄与した。43年に訪れたパリでは、音楽院ピアノ教授ヅィメルマンのサロンを訪れピアニストとして登場し、フランスの名手アルカンの演奏に先立って師メンデルスゾーンのフーガや自作の練習曲を演奏している。  1844年、演奏旅行を終えたクフェラートはベルギーに居を定めた。ここで彼は、ピアノと作曲の指導、合唱協会指揮者、室内楽コンサートで主要な役割を担う。国際的な活躍で今やベルギーの中心的音楽家となったクッフェラートの自宅は、ヴァイオリンの達人ヘンリク・ヴィエニアフスキ、シャルル・ド・ベリオやピアニスト兼作曲家クララ・シューマンが集う音楽サロンに発展した。以後、ベルギーで作曲活動に専念し、交響曲、室内楽、ピアノ音楽を始め幅広いジャンルの作品を手がけ、その力量は高く評価された。既に円熟の域に達した1872年からはブリュッセル音楽院で対位法とフーガを教え、後進の指導に当たった。

    執筆者: 上田 泰史 
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    作品(1)

    ピアノ独奏曲 (1)