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ラン 1817-1894 Lann, Henry Charles

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  • 解説:上田 泰史  (1086文字)

  • 更新日:2018年3月12日
  • 『ピアノの19世紀』第二回参照  「ピアノ音楽史における最大の謎といってよいのは19世紀イギリスではないでしょうか」とは19世紀の音楽と社会を専門とされる西原稔氏の言葉である(西原稔『ピアノの19世紀』第二回参照)。他のヨーロッパ諸国に先駆けて産業革命を起こし、ブロードウッドやクレメンティをはじめとする製造者によってピアノ産業も飛躍的に発展した。フランスのピアノ製造業者シモン・エラールが「イギリス式」アクションをモデルにしてピアノのアクション構造に新しい発明を加えていったことはよく知られている。また、大陸からもヘンデル以来、ハイドンメンデルスゾーンモシェレスなど音楽家が頻繁に訪れて演奏していた。ところが、こんにち、イギリス国内で活躍した作曲家の存在は殆ど知られていない。  ヘンリー・チャールズ・ランは、そうしたイギリスのピアノ・シーンで活躍した音楽家の一人である。1817年、ロンドン生まれのランは、生涯殆どイギリスのみで活動した音楽家である。ランについては専門研究がないため彼の受けた教育については殆ど分かっていない。但し、1823年に開校した音楽教育機関王立ミュージック・アカデミーと関わりがあったことは確かである。  1840年、20代後半のランは既に作曲家としての活動を始めており、彼の歌曲がこのアカデミーの学生によって歌われたという記録がある。40年代半ばには英国アカデミーの一員となり、彼のエッセイ集『ある音楽家の黙想:音楽に関する事柄と音楽に関わる人々の実例としての通俗的素描』(序文1846年)で注目を集めた。この著作は音楽、音楽家、楽器、社会、階級などにまつわる主題を扱いながら、イギリス特有の音楽文化の様相を風刺的に描いたもので、49年には第2版が出版されている。1860年代の資料では、ランの肩書きには「王立音楽アカデミー教授」という肩書きが加わっている。この時期以降、60年代から70年代にかけてランはハイドンモーツァルトクレメンティドゥシークの校訂楽譜を出版している。ランはその後も定期刊行の音楽雑誌上で美学的な問題や音楽の社会的問題を取り上げながら執筆活動を続けた。  大英図書館には、ランの作品が30点あまり所蔵されている。数点の歌曲を除けば、すべてピアノのための作品である。いずれも1850年代以降の作品で、タイトルは《海辺の祈祷者》(1862)や《夜の声――瞑想曲》(1874)、《ボート・ソング――舟歌》(1878)のように詩的な言葉とジャンル名を組み合わせた、19世紀後半に典型的なタイトルをもつサロン小品である。

    執筆者: 上田 泰史 
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    作品(3)

    ピアノ独奏曲 (1)

    ★ 種々の作品 ★ (3)

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    海に祈る人 海に祈る人

    総演奏時間:4分20秒 

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