平井 康三郎 1910-2002 Hirai, Kozaburo
解説:小室 敬幸 (807文字)
更新日:2018年4月20日
解説:小室 敬幸 (807文字)
土佐和紙の名産地として知られる高知県吾川郡伊野町(現・いの町)に、8人兄弟の三男として生まれる(本名は保喜、1951年に康三郎へ改名)。父・惣太郎は東京府教育会に学び、1908年には国語教員として勤めていた簡易商業学校(現・高知商業高等学校)の校歌も作曲したハイカラな人物だった。保喜が生まれた頃には紙問屋を営んだり、酒造の取締役、町会議員を務めていたという。
幼い頃から伝統芸能や邦楽に囲まれた環境に育ち、家庭内にあったヴァイオリンやオルガンも自然と触れるようになる。多忠亮(1895~1929)に一時、ヴァイオリンの手ほどきを受けたりはしたものの基本的には独学で1929年に東京音楽学校本科器楽部に入学し、ヴァイオリンを学ぶ。この頃よりプリングスハイムから和声や対位法を学びつつ声楽曲を中心に創作活動を開始し、本科卒業後に改めて研究科の作曲部に進んだ。
学業を終えた1936年に日本音楽コンクールで第1位を受賞。すぐさま母校の教員に就任したが、その後、戦時中に聖戰歌曲集《雪華》などで国威発揚に加担していたこともあり、戦後の1947年には退官。その後は、NHKの専属作編曲家、文科省教科書編集委員、合唱連盟理事、大阪音楽大学教授(1968~79年)などを歴任している。作品は声楽曲が主に知られるが、邦楽器のための作品に1940年代終わりから取り組んだ先駆者としても重要である。ピアノ曲では幻想曲《さくらさくら》の演奏頻度が高い。
音楽一家としても知られ、妻・友美子(疋田 小枝)は東京音楽学校の同期だったヴァイオリニストで、桐朋学園大学名誉教授。長男・丈一朗(たけいちろう)はカザルスに師事したチェリストで作曲家。次男・丈二郎はピアニストで、東京藝術大学名誉教授や聖徳大学音楽学部教授を務めた。孫には、指揮者で作曲家の秀明、ピアニストで作曲家の元喜(父は丈一朗)、ピアニストでソプラノ歌手の李枝(父は丈二郎)がいる。