ダマーズ, ジャン=ミシェル : バレエ《ダイヤモンドを噛む女》より〈自転車〉
Damase, Jean-Michel : Les Bicyclettes (de La Croqueuse de Diamants)
作品概要
解説 (1)
解説文 : 西原 昌樹
(1611 文字)
更新日:2023年3月5日
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解説文 : 西原 昌樹 (1611 文字)
バレエ音楽「ダイヤモンドを噛む女」(Op. 18)は、ダマーズ初期の代表作の一つに数え
られる。構成・演出・振付ローラン・プティ、主演ルネ・ジャンメール(のち、ジジ・ジ
ャンメールを名乗りプティの妻となる)。1950年、舞踊・演劇の殿堂、パリのマリニー劇
場で作曲者自身の指揮で初演された。プティはパリ・オペラ座の座付を20歳で辞して下野
した翌年(1945年)頃から、音楽院在学中のダマーズ(当時17歳)の才能に目をとめ、自
身のバレエスタジオに出入りさせた。ダマーズはプティの稽古ピアニストを務め、最前線
の現場で舞踊音楽のセンスを体得した。19歳でローマ大賞の覇者となり、2年のローマ滞
在を終えて旺盛な創作・演奏活動を開始した22歳のダマーズを見てプティは機が熟したと
判断、1950年の新作バレエの作曲者に抜擢したのである。舞台美術、装置、衣裳の全てに
当代最高のスタッフを結集、磐石の布陣で臨んだ本作は大成功、ニューヨークでも好評を
博し、ダマーズは早々にアメリカデビューも果たすこととなった。1961年には、『007』で
知られるテレンス・ヤング監督の映画『ブラック・タイツ』Black Tights にも組み込まれ
、同映画と共にダマーズの音楽も広く親しまれた。
盗賊の女首領の活劇にロマンスを交えたバレエの筋書きにふさわしく、ダマーズの書いた
音楽は娯楽性にあふれ、大衆的、歌謡的でわかりやすい。ジャンメールが劇中に唄うシャ
ンソン(作詞レイモン・クノー)も当たりを取った。ダマーズ自身は本作を「アメリカの
ミュージカルコメディのようなもの」と説明し、ロンドンやブロードウェーの最新のミュ
ージカルにも精通していたことをうかがわせる。実際、そうでなくてはニューヨークでの
興行的な成功など到底おぼつかぬし、当然その背後には、ダマーズの才能を青田買いし、
クラシックの御曹司ダマーズに米英のジャズ、ポップスのエッセンスを吸収するよう仕向
けたローラン・プティの鋭い嗅覚と卓抜な人材育成力も見え隠れする。1953年には、プテ
ィ率いるバレエ・ド・パリと競合するマルキ・ド・クエバス・バレエ団にダマーズが楽曲
(光の罠)を提供したことがプティの不興を買い、プティが同年の新作バレエ「狼」(Le
loup)の作曲委嘱先をダマーズからデュティユーに変更する一幕もあった(翌年和解して
協働を再開)。少なくとも当時のプティにとっては、気のおける年長者のソーゲ(ポール
とヴィルジニー/旅芸人)、フランセ(夜の淑女たち)、デュティユー(狼)よりも、手
塩にかけて気心知れた弟分のダマーズこそが第一の作曲家だったのである。互いに影響を
与えあった若き日のプティとダマーズの関係については、今後いっそう踏み込んだ考証が
なされてよい。
バレエ音楽から作曲者自身が切り出して管弦楽組曲、歌曲、器楽曲、ピアノ曲に編作した
。〈自転車〉はその一つで「ピアノのためのエチュード」との副題を持つ。プレスト、4
分の2拍子、ト長調(調号なし)。半音階の短いモチーフを切れ目なく繋ぎ合わせたスピ
ード感にあふれた小品。中盤には焦燥感を煽るような痛快なフレーズも飛び出す。終盤に
向けて楽想は颯爽とした上昇気流に支配され、音域を駆け上がったのち、急転直下の終止
となる。ダマーズのピアノ曲としては他に類例のない特異な曲想を持ち意外性もあるから
、アンコールや余興に使うのもよい。ジャンメールの唄ったシャンソンの出版譜(モンデ
ィア社版)では作曲者としてプティとダマーズ連名のクレジット表記がなされ、舞踊関係
の資料によっては二人をこのバレエの共同作曲者のように扱っているものもある。いっぽ
う、器楽曲、ピアノ曲の出版譜はダマーズの単独名義となっており、連名ではない。いず
れにせよ、この曲を見ていると、場面によってはプティからダマーズに対し、かなり具体
的に立ち入ったオーダーがあった可能性も考えられ、興味は尽きない。