三部形式
A[a(1から8小節)+a1(9から15小節)]
B[b(16から19小節)+c(20から23小節)]
A1[a(24から31小節)+a2(32から39小節)]
冒頭1から8小節までの主題の流れにおいて、ワルツとして1小節単位での明確な3拍子の伴奏部の動きは少なく、Tranquillo(=静かに)とp(ピアノ)の指示と相まって、楽節の性質が急激な変化ではなく緩やかに変化していくことを表している。主題モティーフも8分音符二つと二分音符の構成で活発な動きは感じられない。こうした小さな音程の変化を細やかなタッチで表現していく。短時間で劇的変化は全曲を通してみても見られず、まさに標題通り、ゆるやかなワルツである。
さらに細かく見ていくと、1小節目一拍目は主和音Ⅰの和音構成音第3音がバスに配置される第一転回であり、響きとしては根音がバスに配置される基本配置に比べると不安定である。その不安定な第3音は1小節進むごとにc→h→a→g→f→eと順次進行で下行していくことから大きく横の流れを感じて6小節目の属7和音を緊張のピークとしてフレーズを形成していくことが考えられる。4から7小節にかけてクレシェンドとディクレシェンドはこうした横の流れと和声の動きを表現していると考えられる。因みに4小節目バスにあるg音はⅠの7和音における第7音ではなく、様式的な側面(ロマンスタイルでの書法)から考えると非和声音の経過音として捉えた方が自然だと考える。
8小節目で属7和音による半終止となり、9小節目から改めて主題の冒頭が再提示される。12小節からe mollへ部分転調していくが、e mollのⅢ上属9(F♯m7 -5)の4和音への呼び水として、11小節ではa moll Ⅰ和音が3和音(3小節目では5度の重音)となっていて、より短三和音の暗い響きが感じられる。13から14小節ではヘミオラ終止となっており、ここは指示されてあるスラーに従うとそのままヘミオラのポリリズムが感じられる。
16小節からB楽節に入る。16小節目の旋律線、f―hの増4度進行は楽曲中で最も特徴的なところだ。属音を保続音として、これはⅡ7の和音で、18から19小節は16から17小節の変奏であり、実は和声進行は同じである。不完全カデンツをサブドミナントから開始する楽節はロマン派特有だが、それでも短調のⅡ和音は減和音であり、その第5音と根音で増4度音程を形成する旋律の始まりは作曲学的見地で見ると大胆な発想だと考える。そしてこの16小節の構成音を並べてみると、ラシミファとなり、我々日本人からすると耳馴染みのあるヨナ抜き短音階ラシドミファを連想させてしまうのである。これがどうもオリエンタルな雰囲気を感じさせる要因なのだ。
20小節から次第にディミュニエンドによって音量は減衰していくが、20から23小節は旋律としてもgis→a→hで上行するし、和声的にもドミナントに向かって緊張感が高まっていくのである。それにも関わらず音量は減衰していき、やがて24小節ではもはや和音すら形成されないユニゾンにフェルマータで停止する。残されたのは単音のe音のみ。こうした動きは何か意味ありげで、単純に半終止であるとか、フレーズの終わりであるというだけでは割り切れない。和声的な緊張感を残しつつも響きは減衰していくことを、例えば何か言いたくても押し黙ってしまう様などというふうに人間の情感がこもった動作でイメージしてみることで、作曲者の本当の意図は謎のままであるにしても、無機質にならず自然な表現に繋げられるかもしれない。
25小節から、主題が再提示される。32小節からF durに転調されて、主題が展開される。36小節では再び主調a mollに戻り、ここは第5音下方変位、ドッペルドミナント(=増六和音)が配置され、37から38小節で終止定式が形成される。なお、37から38小節は13から14小節と同様にヘミオラとなっているが、左手伴奏和音の内声がa→f→fis→gisで対旋律を形成しているため、こうした内声のラインを浮き立たせて主旋律とポリフォニックな構造を表現できると、より立体的な演奏表現となるだろう。