出版: Simon Richault, 1867
献呈:Monsieur Simon Richault
11 曲のオリジナル小品とヘンデルのオラトリオ『メサイア』の第13番「パストラーレ」の編曲を加えた12 曲からなる。ここでは11曲のオリジナル小品から3 曲を収録している。本作のタイトルには「オルガン、ハルモニウムまたはピアノのための/足鍵盤なしで」という指示が伴っている。アルカンは1834 年にパリ音楽院オルガン科で1 等賞を得た優れたオルガン奏者でもあった。1853 年、ピエール・エラール率いるピアノ会社は足鍵盤付きピアノ「ピアノ・ペダリエ」を開発、55 年にはパリ万国博覧会に出品され衆目を引いた。「足鍵盤なしで」という表現はおそらくこの「ペダリエ」が念頭にある。ユダヤ教者としてカトリック教会でオルガニストの職につくことのなかったアルカンが「ペダリエ」に注目したのは偶然ではないだろう。アルカンはこの楽器を所有しバッハ作品を演奏していた。また自らも「ペダリエ」のために作曲し、1866 年には以下の4 作品を一挙に発表した。
作品番号のある作品タイトルはいずれも宗教的な内容を示唆するが、特に超大なコラール変奏曲の作品69 はバッハへの関心を強く示すものである。
さて、ここに3曲を抜粋した作品72は上記4作の翌年に出版された作品で作品66 の姉妹編。敢えて「足鍵盤」の指示は外し、当時広く普及していたハルモニウムや小型オルガンでも演奏できるように作曲されている。「ペダリエ」が一般に普及していなかったことへの配慮だろうか。長年に亘りアルカンの出版活動を支えてきた出版者シモン・リショーに献呈。
第3 番 ニ短調 ほとんどアダージョのように
4 声のフーガとして開始されるが、主題提示部(1 ~ 15 小節)と十分に動機労作された喜遊部(16 ~ 44 小節)、ストレッタ(45 ~ 51 小節)、コーダ(52 ~ 59 小節)という簡潔な構成をとる。冒頭主題に基づいて展開される喜遊部前半(16 ~ 36 小節)に続く後半(36 ~ 44 小節)では主題と対主題の2 つのモチーフを同時に聞かせながらクライマックスに向けて上昇する。この際、対主題は反行形で現れる。演奏ではこれらのモチーフがいずれもはっきりと聞こえるよう意識すること。
第6 番 変ロ長調 威厳をもって
急速な上行、下行音階をモチーフにした無言歌風の一曲。多くの複重線で仕切られ一見複雑だが、全体は大きく第88 小節を境に2 部分に分けることができる(分析図参照)。第1 部はA-B-A’の3 部形式。いずれもA で提示される以下の動機に基づいて展開される(譜例参照)。第2 部は動機a に基づく練習曲風の3 度のパッセージの後に主題が再現されコーダとなる。書法は全く異なるが、第3 番同様、厳格に主題の動機を展開し、内的な統一を重視している。分析図は、それぞれの動機の役割を把握し、演奏を構築するのに役立てて頂きたい。
第11 番 イ短調 甘美に
統一された全体の中に複数の異質な要素を挿入するのはアルカンの後期作品の特徴の一つ。複雑な構造を把握する手がかりとして、ここでも譜例と分析図を提示する。本作に登場する主要なモチーフは下の譜例に示す5 つで、x1 と x2 が楽曲の途中に唐突に挿入される(図中グレーで表示)。ホ短調に転調した主題とは異質なヘ音のx1 に遮られながら主題A が提示された後、主題B がそれぞれ両手に現れる。この後、単旋律聖歌風のc が変ホ短調で登場する(62 小節)。c は変ロ音のx2 によって遮られるが、このx2 は変ホ短調と親和性が高く、x1 が主題A を遮るのに比べれば断絶の印象は薄い。主調のイ短調と増4 度の関係にある変ホ短調は主調から最も遠い調。聖歌風のセクションを主調から遠い調に設定することで主題A, B にそれぞれ「俗」・「聖」の含意を与えていると見る解釈も可能だろう。主題A, B は対位法的に組み合わされて同時に再現される(81 ~ 103 小節)。再び5 連符の宗教的な楽想d がイ長調で登場したのち(104 小節)、主題A の歌がx で寸断され力なく消える。