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アルカン, シャルル=ヴァランタン :音楽院の演奏会の想い出:ピアノ独奏のためのスコア

Alkan, Charles-Valentin:Souvenirs des concerts du Conservatoire. Partitions pour piano seul

作品概要

出版年:1847年 
初出版社:Brandus
楽器編成:ピアノ独奏曲 
ジャンル:トランスクリプション

解説 (1)

執筆者 : 上田 泰史  (2614文字)

更新日:2010年6月1日
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本曲集は、後年の《音楽院演奏会の想い出 第2集》(Richault, 1860)、《室内楽の想い出》(Richault, c. 1866) に先立って、アルカンが1847年に出版した編曲集シリーズの第1集である。1848年、アルカンは自身の師であり、パリ音楽院ピアノ科教授P.-J.-G. ヅィメルマンの引退に伴い、ピアノ科教授候補に名前があがるが、結局A.-F. マルモンテルにその座を与えてしまう。当時、アルカンはマルモンテルに比べれば、すでに独創的な作曲家、演奏家、教育者として注目されていた。そのため、彼は当然自分が教授になるものと信じていたのである。それだけに、自分が教授候補に選出されなかったことへの落胆は長年尾を引いた。

この曲集は、まだこの一件で心が折られるまえの野心に燃える青年アルカンの作である。《音楽院演奏会の想い出》というタイトルは、この曲集に含まれる曲がパリ音楽院演奏教会Société des concerts du Conservatoir (音楽院付属のオーケストラ)によって演奏されたレパートリーであることに由来する。この音楽院オーケストラは、1828年創設以来、その高度な演奏技術によってヨーロッパ随一の楽壇と称され、ベートーヴェンの交響曲、序曲を中心に、モーツァルト、ハイドン、ウェーバーといった古典曲や同時代の作曲家の新作を演奏していた。

この曲集には、編曲についての考えを述べたアルカンによる長い序文が付されている。その要点は以下の通りである。

①美学上の前提 ― 編曲は2手用でなければならない

ピアノのための4手用編曲は、よりいっそう扱いやすいものの、例外的な場合においてのみしか、決して純粋な耳を満足させてこなかった。2人の演奏者間を同一の着想が行き来するのは意図と解釈の統一全体に支障をきたす。

19世紀、4手用のピアノ編曲はその実用性から非常に多く書かれた。それは2手よりも広い音域を扱うことができるために、より「扱いやすい」ものであったからである。実際、4手用編曲は他のいかなる演奏形態よりも、19世紀の音楽家にとって演奏会のレパートリーを普及させるために重要であった。つまり、アルカンが「意図と解釈の統一」という理由で「耳を満足させる」2手用の編曲に取り組んだことは、4手用編曲の様々な実用的メリットをあえて拒否したことを意味している。

②原曲についての知識とピアノ独自の表現効果の統合

独奏ピアノに編曲が可能で、同時に明確かつ完全で、手ごろな難しさの範囲内にあるオペラや交響曲からの抜粋morceauxは、[・・・] 多くの効果、音色、私が声と楽器の幻影とよぶもの […] についての知識と同様に、現代ピアノに固有な響きとそれらとの関係についての完全な知識を要求している。これは確かなことである。なぜなら、さまざまなアタックの手法や特定の指使い、手の交差などの賢明な使用によってこれらの響きを獲得する方法を知るのに応じて、その音響は多岐に亘るものとなるからである。これらの作品からの抜粋の選択とそれらを扱う才気は、いわば独自の技術を形成し、そしてその技術は何よりもまず、長く骨の折れる仕事、極度の繊細さ、機転、優れた直観、われわれが今日用いることのできるあらゆる手段の適応を求める。[・・・]要するに、全てを聴かせながらも、どのパートが際立たせられなくてはならないか、どのようにそのパートがあるべきか、さらに、それらがどのように伴われ、光が当てられ、あるは暗闇に残されるべきなのかということを知ること、こうしたことがこの技術[・・・]なのである。

(下線:アルカン)

ここには、ピアノの表現効果についてのあらゆる知識と演奏技術を駆使しながら、原曲の表現内容を直観的に把握し、それを鍵盤上に定着させようとする編曲方針が提示されている。編曲において重要なのは、知性、演奏技法、直観力、創造力の統合なのである、ということをアルカンは理解させようとしている。つまり、アルカンにとって、編曲とは知りうる限りのピアノの表現力を、可能な限り探究しながら原曲の効果を生かすことである。

③原曲の楽譜テクストに対する忠実性

私は、この最初の曲集が、劇場で或いは演奏会で聴いた美しい曲を、あらゆる種類の変奏のオブリガート伴奏、アルペッジョ、装飾[・・・]なしで思い出し、再生したいと思う人々、そして同時に、ある曲の中に、練習の糧を、つまりある程度は克服しがたいようだが克服できなくはないある種の難しさを見い出さんとする人々を満足させるはずだと思う。[・・・]これら6つの断片に関する限り、私は可能な限りで最も高い忠実度を達成するために、公共図書館や個人的なコレクションによって提供されたあらゆる資料を調べつくした。私は長い熟慮と細心の点検を経て、ようやくこのヴァージョンに決定した。疑わしいが、いずれを採るべきかさして重要ではないように思われた場合は、大多数のエディションに従った。

ここでアルカンは編曲における忠実性に言及している。前の引用で述べられていた「すべてを聴かせる」ということは、どのパートも省略せずに、できる限り忠実にピアノに書き換えるということである。彼は原曲に「忠実な」編曲を書くに際して、原曲のさまざまなエディションを参照して、客観性を確保しようとした。

彼の編曲は、ピアノの演奏技術向上という実用的な要素を含むと同時に、「忠実性」あるいは「オーセンティシティ」を確保することで、一般の愛好家に「大作曲家」の作品の「偉大さ」を理解するよう促すという啓蒙的・教育的な意図を全面に押し出している。

彼がこの曲集の副題に編曲/改作 [arrengement] という言葉を用いず「ピアノ独奏のためのスコア  [partitions pour piano seul] 」としたのは、アルカンの楽譜がそのまま原曲のスコアであるようなあり方を目指したからに他ならない。ここで具体的にアルカンの楽譜を原曲と突き合わせることはしないが、彼はあらゆる手を尽くして、しかしピアノで演奏可能な範囲で原曲のパートを巧みにピアノ上に移しかえている。この点は、演奏の機能性を優先させるリストのトランスクリプションとの大きな違いである。ピアノ音楽にとどまらない教養と、ピアノの演奏技法を知り尽くしたアルカンならではの成果である。

執筆者: 上田 泰史 
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