ブーランジェ, リリ :古い庭から
Boulanger, Lili :D'un vieux jardin
総説 : 平野 貴俊 (856文字)
作曲:1914年5月26~27日作曲、6月3日完成、ヴィラ・メディチ(ローマ) 出版:パリ、リコルディ社、1919年 献呈:リリー・ジュメル 1914年5月から6月にかけて、ローマのヴィラ・メディチで作曲された。ヴィラ・メディチは、ローマ賞を受賞してまもない芸術家が滞在し、創作や仲間との交流を行うために設けられた施設である。リリ・ブーランジェは、1914年と1915年にそれぞれ約4か月ヴィラ・メディチに滞在し、歌曲集《空の晴れ間》など重要な作品を創作した。《古い庭から》、《明るい庭から》、《行列》は、ブーランジェが没した翌年、彼女が出版の独占契約を結んでいたミラノの老舗出版社、リコルディから最初に出版された。それから60年経った1979年、これらはニューヨークの出版社シャーマーから「3つのピアノ小品」として刊行され、以後広く親しまれている。 《古い庭から》は、ブーランジェがヴィラ・メディチで作曲した4つのピアノ曲のうち、もっとも早く完成したものである。歌曲を思わせる比較的自由な動きの旋律が精緻な和声に支えられ、夢想的で擬古的な雰囲気を醸しだす。献呈されたリリー・ジュメルは、ブーランジェがパリで知り合った人物のひとりであろう。5月27日にいったん完成された後、6月3日までの間に手が加えられ、11小節追加された52小節となった。手稿譜の冒頭には「変ニ短調[本作品の調性である嬰ハ短調を異名同音で読み換えた調]を怖がるなんて、わたしは哀れ。こういう場合の4分の3はどのようにすればよいのだろう?」と記されている。タイトルの「古い庭から」は、リコルディからの刊行に際して付けられたものであり、手稿譜には記されていない。演奏にあたっては、丁寧に書き込まれた強弱や速度の表記をできる限り守ることが望ましい。フレーズの開始が3拍目におかれている箇所に注意する。 ※本解説は『リリー・ブーランジェピアノ曲集』(校訂:平野貴俊、カワイ出版、2015)に掲載されたものをピティナ・ピアノ事典向けに改稿したものです。
総説 : 佐藤 祐子 (1266文字)
リリーは2才半の頃から絶えず歌っている少女だったという。その後まもなく初見で歌曲をうたい、フォーレは彼女の歌の伴奏をつけに自宅を訪れた。その年齢では理解できないはずの歌詞をあたかも理解しているように歌った、と姉のナディアは語り、その感性の早熟さは彼女が6才で経験した父の死による哀しみに由来すると述べている。彼女の姉がそうであったように、最初の音楽の手解きをしたのは母ライサである。彼女は和声概論の本を丸暗記して教えた。 1910年、リリーが17才で作曲家になると決意すると、ナディアはありったけの知識で父が彼女にそうしてくれたように準備を始め、リリーは二年後パリ音楽院に入学する。なんとその翌年にはローマ賞に輝くのである。 その英才ぶりについて、ジャック・シャイエは早世した天才作曲家達も若冠24才で彼女の三つの《詩編》のような作品を書くには至っていない、と述べている。リリーは病気の治療や療養のためにローマ賞のご褒美としての旧メディチ家の館への留学を一時中断しているが、ローマ滞在中は短期間に重要な作品を書き上げ、その地の音楽家達との交流もあった。1915年には第一次世界対戦の戦争が国内に迫りくるなか、姉とともに兵士への音楽慰問にも率先して出掛けている。姉のナディアはリリーの死後、その非凡さに比べたら自分は無力であると筆を断ち教育に専念する。 その才能の活かし場所を心得る英断ではあるが、二人ともその才徳と優秀さにおいて遜色はない。一家の家族の絆、その情の深さ、音楽への愛情と真摯な探求はその血筋のルーツへの興味を抱かせるが、結局その元をたどっていくと万物のすべての源である古代ギリシアにまで繋がっていくのである。ヨーロッパには古い王公貴族の城や建築物が今も残っている。そこに佇むと遠い時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。ローマの古い館の庭を姉ナディアと散歩した折、姉妹は一人の草を刈る老婆に出会う。その老婆は二人に微笑みながら「今日も良い一日でありますようにー」と声をかけた。ナディアはその老婆の一言によって、私たちが神によって祝福されていることを感じた素晴らしい瞬間であった と思いでを語っている。《古い庭》《明るい庭》の舞台はその庭である。戦争の忍び寄る足音もかすかに感じながら、病気による死への闇も感じながら、明るく前向きに生きようとするリリーの若いみずみずしさを感じる。和声的な音の累加堆積による残響のなかでも骨組みは今も昔も変わっていないと思考錯誤を重ねている。リリーの音楽には自然発生的な崇高さを感じる。印象主義を継承しさらに音の配置に気を配りそこには反骨精神は感じられない。 三曲目の《行列》は「ヴァッカナール」の行列なのだろうか? 古代ギリシアの酒と収穫の神ヴァッカスの祭りである。ウィットとユーモアをペンタトニックの音の運びに感じて楽しさを感じる作品でこれが五年後に死を迎える療養中の人の作品とは思えない。姉ナディアの悲願を達成できた!恩返しができた!リリーはそんな気持ちだったのだろうか…
古い庭から
検索