ブーランジェ, リリ :行列
Boulanger, Lili :Cortège
総説 : 平野 貴俊 (651文字)
作曲:1914年6月4~5日、ヴィラ・メディチ(ローマ) 出版:パリ、リコルディ社、1919年 献呈:イヴォンヌ・アストリュク 《明るい庭から》と同じくロ長調の軽快な小品。ピアノ独奏版とヴァイオリン(もしくはフルート)とピアノの二重奏版があり、いずれも1919年にリコルディから出版された。二重奏版は、同じくヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための小品《夜想曲》(1911)と並んで、ブーランジェのもっともポピュラーな作品となった。イヴォンヌ・アストリュク(1889~1980)は、ブーランジェ一家が自宅で催した演奏会にたびたび出演したヴァイオリニストである。初演は1915年12月17日、エミール・マンデルのヴァイオリンと作曲家自身のピアノによってパリのプティ・パレで行われ、1917年12月1日にはアストリュクとナディア・ブーランジェによって再演された。 タイトルの「行列」は祭りの賑やかな一場面を指し、フランスの作曲家は小品のタイトルとしてしばしばこの語を用いている(1911年にはセシル・シャミナードも《行列》というピアノ曲を書いている)。演奏にあたっては、レガートとスタッカートを弾き分けることが重要。左手の伴奏音型がスタッカートにならないよう注意する。また、四分音符を中心とする流れのなかで十六分音符の伴奏音型を捉えるよう意識する。 ※本解説は『リリー・ブーランジェピアノ曲集』(校訂:平野貴俊、カワイ出版、2015)に掲載されたものをピティナ・ピアノ事典向けに改稿したものです。
総説 : 佐藤 祐子 (1266文字)
リリーは2才半の頃から絶えず歌っている少女だったという。その後まもなく初見で歌曲をうたい、フォーレは彼女の歌の伴奏をつけに自宅を訪れた。その年齢では理解できないはずの歌詞をあたかも理解しているように歌った、と姉のナディアは語り、その感性の早熟さは彼女が6才で経験した父の死による哀しみに由来すると述べている。彼女の姉がそうであったように、最初の音楽の手解きをしたのは母ライサである。彼女は和声概論の本を丸暗記して教えた。 1910年、リリーが17才で作曲家になると決意すると、ナディアはありったけの知識で父が彼女にそうしてくれたように準備を始め、リリーは二年後パリ音楽院に入学する。なんとその翌年にはローマ賞に輝くのである。 その英才ぶりについて、ジャック・シャイエは早世した天才作曲家達も若冠24才で彼女の三つの《詩編》のような作品を書くには至っていない、と述べている。リリーは病気の治療や療養のためにローマ賞のご褒美としての旧メディチ家の館への留学を一時中断しているが、ローマ滞在中は短期間に重要な作品を書き上げ、その地の音楽家達との交流もあった。1915年には第一次世界対戦の戦争が国内に迫りくるなか、姉とともに兵士への音楽慰問にも率先して出掛けている。姉のナディアはリリーの死後、その非凡さに比べたら自分は無力であると筆を断ち教育に専念する。 その才能の活かし場所を心得る英断ではあるが、二人ともその才徳と優秀さにおいて遜色はない。一家の家族の絆、その情の深さ、音楽への愛情と真摯な探求はその血筋のルーツへの興味を抱かせるが、結局その元をたどっていくと万物のすべての源である古代ギリシアにまで繋がっていくのである。ヨーロッパには古い王公貴族の城や建築物が今も残っている。そこに佇むと遠い時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。ローマの古い館の庭を姉ナディアと散歩した折、姉妹は一人の草を刈る老婆に出会う。その老婆は二人に微笑みながら「今日も良い一日でありますようにー」と声をかけた。ナディアはその老婆の一言によって、私たちが神によって祝福されていることを感じた素晴らしい瞬間であった と思いでを語っている。《古い庭》《明るい庭》の舞台はその庭である。戦争の忍び寄る足音もかすかに感じながら、病気による死への闇も感じながら、明るく前向きに生きようとするリリーの若いみずみずしさを感じる。和声的な音の累加堆積による残響のなかでも骨組みは今も昔も変わっていないと思考錯誤を重ねている。リリーの音楽には自然発生的な崇高さを感じる。印象主義を継承しさらに音の配置に気を配りそこには反骨精神は感じられない。 三曲目の《行列》は「ヴァッカナール」の行列なのだろうか? 古代ギリシアの酒と収穫の神ヴァッカスの祭りである。ウィットとユーモアをペンタトニックの音の運びに感じて楽しさを感じる作品でこれが五年後に死を迎える療養中の人の作品とは思えない。姉ナディアの悲願を達成できた!恩返しができた!リリーはそんな気持ちだったのだろうか…
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