
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (734文字)
更新日:2022年9月20日
解説:PWM Edition(翻訳:平岩 理恵) (734文字)
アレクサンデル・ザジツキ Aleksander Zarzycki
(1834年ルヴフ[ポーランド]~1895年ワルシャワ[ポーランド])
アレクサンデル・ザジツキはポーランドのピアニスト、作曲家、教育者、指揮者。ルヴフ
(現ウクライナのリヴィウ)に生まれ、幼い頃からヨーゼフ・ケスレルにピアノを習い始め
た。ギムナジウム卒業後、国外に渡り、ベルリンでリストの弟子の一人ルドルフ・ヴィオレ
にピアノを学び、またパリでナポレオン・アンリ・ルベルに、ライプツィヒでカール・ライ
ネッケに作曲を師事した。
在学中の1856年には、ヴァイオリニストのニコデム・ビェルナツキと最初の演奏旅行を
行い、ポーランドとルーマニアを訪れている。この時点ですでに、ザジツキは非常に優秀な
将来を約束されたピアニストであると認められていた。1960年、ザジツキはパリ・デビュ
ーを果たし、ついでドイツ、オーストリア、イギリスを巡る演奏旅行に出た。演奏曲目はア
ドルフ・フォン・ヘンゼルトの《ピアノ協奏曲 ヘ短調》やフリデリク・ショパンの作品、
また自ら作曲した独奏曲などだった。
1866年、ポーランドに最終帰国するとワルシャワに居を構えた。以降、ワルシャワ音楽
協会会長や音楽専門学校(後のショパン音楽大学)校長、聖ヤン大聖堂聖歌隊長などを歴任
。彼の尽力により、イグナツィ・ヤン・パデレフスキをはじめとする教師陣をワルシャワの
音楽院に迎えることができた。
ザジツキは、ショパンの作品にインスピレーションを得たピアノ独奏曲を中心に作曲を手
がけたほか、ピアノとヴァイオリンのための作品、ピアノとオーケストラのための作品、ス
タニスワフ・モニューシュコの作風による歌曲なども残している。
ザジツキは1895年、ワルシャワで没した。
解説 : 齊藤 紀子
(237 文字)
更新日:2008年10月1日
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解説 : 齊藤 紀子 (237 文字)
ポーランドの作曲家。ピアニストとしても活動した。ベルリンでピアノを学んだ後、パリでライネッケらに作曲を師事。ポーランド国内の各地や、ドイツ、オーストリア、イギリスで演奏会を催した。ワルシャワ音楽協会の設立に携わり、初代会長も務めた。後年はワルシャワ音楽学校の音楽監督に就任。カリキュラム等の質の向上に努め、パデレフスキを雇用した。1879年から聖ヤン大聖堂の聖歌隊指揮者となったザジツキは、ワルシャワ音楽学校の学生オーケストラも自ら指揮した。作品は、サロン向きの小品が多い。
作品(15)
ピアノ独奏曲 (6)