エマニュエル, モーリス 1862-1938 Emmanuel, Maurice
解説:齊藤 紀子 (910文字)
更新日:2008年12月1日
解説:齊藤 紀子 (910文字)
1.学習・師事歴
フランスに生まれたエマニュエルは、母親から美術を教わった。1880年にパリ音楽院に入学し、ソルフェージュをサヴァールに、和声をデュボワに、音楽史をブルゴー-デュクドレに、作曲をドリーブに師事。しかし、独自の音楽に対する考え方(2.作風。手法を参照)からローマ賞への参加権を得られなかった。そこでエマニュエルは、ギローに個人的な指導を受け、ドビュッシーとも親交をもつようになった。
2.作風・手法
ブルゴーニュで民謡に関心を示した。また、教会堂を頻繁に訪ねたことにより、典礼からも刺激を受けた。エマニュエルの作品では、この2つの要素が重要な位置を占めているといえる。リズムの「自由さ」の追究やフリギア旋法の使用等が受け容れられず、ローマ賞の選考に参加することはできなかった。
過大に自己批判をするエマニュエルは、70曲余りの曲を作曲したものの、その内の30曲ほどしか残していない。その作風は、20世紀における旋法の用法を音により提言したものといえる。長音階の支配と明確な終止の並置、複旋法やポリリズムがきわだっている。
3.作曲以外の活動
ソルボンヌとエコール・デュ・ルーヴルにて古典文学や詩学、文献学、芸術史を学び、1887年に文学の博士号を取得。博士号のテーマは、当時のフランスの舞踊にみられた厳格さとは対照的な、古代ギリシアの舞踊における自由さやリズムの扱われ方を包括的に論じるものであった。
4.指導歴
コレージュ・ド・フランスで音楽史を教える話がもちあがっていたものの、反対する者がおり、1904年までの間、中等学校で芸術史を教えて暮らしていた。また、やがてサント-クロティルド教会の楽長に任命されたが、今度は、グレゴリオ聖歌を復活させたことが受け容れられず、解雇された。1909年になって漸く、パリ音楽院の音楽史の講師の職を得た。同校で、カザドゥシュやメシアンを輩出している。
5.ピアノ作品の傾向
6曲のソナティナを残している。<ブルゴーニュ>の副題をもつ第1番、鳥の鳴き声を模した第2番、インドの旋法に基づく第4番、エマニュエル版の<フランス組曲>となっている第5番等、1曲1曲に独自の性格が付与されている。
作品(6)
ピアノ独奏曲 (1)
ソナタ (6)
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