廣瀬 量平 1930-2008 Hirose, Ryohei
解説:須藤 英子 (740文字)
更新日:2018年4月24日
解説:須藤 英子 (740文字)
1930年、北海道函館生まれ。北海道大学予科に入学した頃より、作曲を始める。同大学教育学部卒業後、上京。1953年、東京藝術大学作曲科に入学し、池内友次郎、島岡譲、矢代秋雄らに師事。厳格なエクリチュールと高度な音楽教養を身につける。また柴田南雄、入野義朗より、アナリーゼや12音技法を学んだ。1961 年、同大学専攻科を修了。
1963年、劇音楽の制作で邦楽器を扱ったのを機に、若い邦楽家グループからの委嘱で、二面の筝、三絃、尺八、チェロによる五重奏曲《トルソ》を作曲。以後、邦楽器のための作品を数多く発表し、現代邦楽の隆盛に大きく貢献していく。特に尺八には多大な関心を寄せ、3本の尺八と弦楽器群のための《霹》(1964)や《3つの尺八のためのハレ》(1969)など、尺八を主役とする作品を書き続けた。
その後インド哲学に影響を受け、チェロ協奏曲《悲(トリステ)》(1971)、尺八とアジアの 打楽器群による《天藾地響》(1976)、《尺八と管弦楽のための協奏曲》(1976、尾高賞)、また管弦楽作品《クリマ》 (1976)、《カラヴィンカ》 (1978)といった、汎アジア的なイメージを表現した多彩な作品を発表。一方で、混声合唱組 曲《海の詩》(1975)やアルト・リコーダーのための《メディテーション》 (1975)、またフルートアンサンブルのための《ブルー・トレイン》 (1979)など、ポピュラーな編成による名曲も多く残した。
京都市立芸術大学音楽学部教授、音楽研究科長、音楽学部長、名誉教授を歴任。ザルツブルグ・ モーツァルテウム音楽院講師、独エッセン音楽大学講師、京都コンサートホール館長なども務めた。文化庁芸術作品賞、紫綬褒章ほか、受賞多数。2008年、78歳にて他界。
作品(2)
ピアノ独奏曲 (2)