ハジダキス 1925-1994 Hadjidakis, Manos
解説:齊藤 紀子 (443文字)
更新日:2008年10月1日
解説:齊藤 紀子 (443文字)
ギリシアの作曲家。ほぼ独学でありながら、国際的に活動した。第2次世界大戦やその後の内戦の影響で、当時のギリシアの作曲家は世界の流れから孤立しがちであった。そのような中、ハジダキスはギリシアの音楽振興に幅広く貢献した。その内容は次のようなものである。
・大衆的なものとして軽視されていたギリシアのポピュラー・ソング「レベティコ」の見直しを図る。
・メノッティやコープランドなど、アメリカで活動する作曲家についての講演会をアテネで開く。
・アテネ工科大学で自身の名を冠したコンクールを催し、海外で活動していたギリシア出身の作曲家、クセナキスらの作品を紹介。
・自ら結成したアテネの実験的なオーケストラ団体を指揮してギリシアの作曲家の作品を初演。
・アテネ国立オペラの副総監督、ラジオ番組の製作責任者、アテネ国立管弦楽団の終身総監督等を歴任。
ギリシア映画や国立劇場等のために数多くの作品を創作した。なかでも、《日曜はダメよ》の主題歌でオスカー賞を受賞し、ハジダキスは一躍、世界的に知られるようになった。
執筆者:
齊藤 紀子
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