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ジャケ・ド・ラ・ゲール, エリザベート=クロード 1665-1729 Jacquet de la Guerre, Élisabeth-Claude

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  • 解説:宮崎 貴子 (930文字)

  • 更新日:2018年3月12日
  • フランスの作曲家、クラヴサン(チェンバロ)奏者。太陽王と謳われたルイ14世(1638-1715)統治下のパリに活躍した。生家のジャケ家は優秀な楽器製作者や演奏家を多く輩出しており、エリザベートの父もオルガニストで鍵盤楽器教師だった。  エリザベートは幼少期から神童として注目を集めており、当時の名高い音楽誌『メルキュール・ギャラン』が12歳の彼女を「4年前からこのパリに奇跡が出現している。彼女は大変な難曲を初見で歌う。自分が歌う時も他人が歌う時もクラヴサンで伴奏をつけ、それは見事な腕前だ。作曲も巧みで、それらを指定されたどんな調にも移して弾きこなしてしまう・・・」と紹介したことは有名だ。同誌は翌年、オペラのクラヴサンパートを務めた彼女を再び「今世紀の奇跡」と絶賛する。こうしてエリザベートの存在は国王の目に留まるところとなり、15歳頃から王宮に出仕して様々な教育にあずかりながら寵臣として活動した。19歳のときオルガニストのマラン・ド・ラ・ゲールと結婚。夫の家系も由緒あるオルガニストの名門であった(マランの父、兄からマランへ受け継がれた由緒あるサント・シャペルのオルガニストの座は、マランの死後クープラン家の人々に受け継がれた)。  作曲活動も順調に展開され、22歳のときに王への献呈が叶った《クラヴサン曲集》は、王の勅許により出版されるという異例の待遇を受けた。その後も王の後ろ盾のもと、彼女の多くの作品がこのような出版を重ねることとなった。バレエやオペラ作品も手がけ、オペラを書いた初めてのフランス人女性とされる。  33歳から約6年間の間に両親と夫、そして一人息子を相次いで亡くすという不運を乗り越えると、彼女は演奏活動や作曲、出版にさらに邁進した。ヴァイオリン・ソナタ、カンタータ、コミック・オペラ、アリアなど、この頃出版された作品は多岐に渡る。優れた音楽家や耳の肥えた聴衆は、こぞってその演奏を聴きに行ったという。  64歳で亡くなると、エリザベートの功績を讃えて肖像の彫られた銅製メダルが作られた。そこには「偉大な音楽家たちと張り合って栄誉を勝ち得た」とも銘されており、彼女がフランス音楽史においていかに重要人物と見なされていたかが窺える。

    執筆者: 宮崎 貴子
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